みのるの「野球日記」
==すいません、ちょっと宣伝です==

●『中学の部活から学ぶ わが子をグングン伸ばす方法』(大空ポケット新書)

新刊が発売になりました。
しらかし台中(宮城)の猿橋善宏先生の
指導法などが掲載されています。
詳しくは、大空出版HPをご覧ください。
http://www.ozorabunko.jp/book/gungun/

●『グラブノート』(日刊スポーツ出版社)
BBA梅原伸宏さんのグラブ本。構成を担当しました。
親指かけ・小指かけの結び方、グリスの入れ方など、
グラブをよりよくするための方法が書かれています。

*ツイッター始めました
@mino8989 です。

2003年12月30日(火) 気付き

 この1ヶ月、指導者講習会や交歓会に行く機会が多かった。それに関連し、野球の技術やトレーニングに関する本を読むことも増えた。先生方の指導を見聞きすると、「中学時代からこんな細かい指導を受けられるなんて、選手は幸せだなぁ」と毎度のように思う。26歳のいまになって、「そんなこと知らなかった!」とか「なるほど!」と感じることが非常に多いからだ。これを中学・高校時代、現役のときに教えてもらっていたら、自分の野球人生は変わっていたかもしれない、と本気で思う。
 昨日、ベットに腰掛けながら、テレビを見ていたら、ふと前日に東林中で見た練習風景を思い出した。それは、イスに座りながら、ティーバッティングをする練習方法だ。左手一本、右手一本でティーを行い、両腕・両肘の使い方をマスターする。佐相先生の言葉を思い出しながら、ベットに座り、擬似ティーバッティングを始めた。「ヒジはこうだよなぁ」「インサイドアウトで…」などとブツブツ呟きながら。
 
 そんな具合で日常生活の中で、ふと気付いたときに、野球のことを考えていることが多々ある。
 ホームで電車を待っているときは、両足を肩幅くらいに開き、バッティングのスタンスを作る。そこで「右足への体重はこれくらいかけて」「右ひざを柔らかく構えて…」とイメージしながら、ホームに立っていたりすることがある(傘をゴルフクラブに見立て、素振りの練習をしているオジサンと同じか…)。

 先日行ったバッティングセンターで、イメージを現実に変えてみようと、バットを振ってみたが、以前と変わらずボテボテの当たりの連続。まぁ、素振りもせず、頭の中だけで考えてるだけだから、簡単に打てるわけがない。と、思いながらも、ちょっと悲しかった。来年はバッティングセンターで快音を響かせたいなぁと、密かに大きな(?)目標を立てている。ストラックアウトも、まだパーフェクトは達成していないし、こちらも9枚抜きを成し遂げなければ。『愛知トレーニング交歓会』で刈谷東中・木野先生が提案していた練習方法を、家でこっそり実戦してみたり。3日坊主にならないように注意。
 
 その木野先生が、交歓会で話をしていた。
「子どもたちに、へぇ〜そうなんだ、と思わせるのが指導者の役目です」
 話を聴いた瞬間、現役時代、そんな経験は一度もなかったぞと悲しくなってしまった。先生から言われたことを何の疑問も感じず、ただひたすらこなすだけ。考える知識も理論もなかった。へぇ〜そうなんだ、と思いたかったな。そう、選手が感じれば、練習への取り組みも理解力も変わってくる。やらされる練習から、自分たちで考える練習に変わる。

 今月はじめに取材した、中学校の先生はこんなことを言っていた。
「自分で気付いたときが人間は一番変われるんです。周りの人に何か言われようが、変われない。まぁ、1週間くらいは変われるかもしれませんよ。でも、本当の意味では変われないです。やっぱり、変われるのは、自分で気が付いたときですよ」
 この先生は、ある試合がきっかけで、自分の指導方法がガラリと変わったと話す。誰に言われたわけでもない。自分で、「これじゃあ、ダメだ」と気付いた。いまから15年ほど前の話だ。
「あのとき、気が付くことができて、いま思えば良かったですね」
 と、当時を振り返っていた。

 選手が、へぇ〜そうなんだと思えば、新たなヒントや気付きが発見できる。そこからは自分の力。そのヒントや気付きに対し、いかに本気で取り組むことができるかにかかってくる。中学生は、自分で何かに気付くには、まだまだ難しい年代。だからこそ、先生や周りの人が、色々なヒントやきっかけを与える。木野先生の言葉には、そんな思いも込められているのだと思う。

 秋頃、横浜の先生から『野球小僧』の記事に対し、「ここの文章、良いヒントになったよ」と言われたことがある。内心、「え? ここはそういう思いを込めて書いたところじゃないんだけどなぁ」と思ったが、嬉しいお言葉だった。

 大学を卒業してから、漠然と「スポーツライターになりたい」と思っていた。「スポーツライターになって、何がしたいか」、そこまでの考えは及ばなかった。正直、「どうしてスポーツライターになりたいか」という根本的な問いに対しても、はっきり答えることができなかった。ただ、なりたいから。憧れと一緒だ。
 でも、「何がしたいか」という最終的な目的がないと、ダメだと、自分が雑誌に書くようになって実感した。書くようになり「新たな世界」を見ることができ、自分の中でいままでと違う感情に出会えることができた。どうしてスポーツライターを目指そうとしたのか、書くことで何をしたいのか、本気で考える時間が増えた。中学・高校野球のことを書くことが多いので、先生方の反応から、大きな刺激を受けた。「こういう役割があるんだ」「こういった貢献もできるんだ」と、今更ながらに気付くことが多かった。

 今年はスポーツライターの事務所を辞め、自分の名前で書くようになり、原稿が初めて雑誌に掲載された。生まれて初めて「原稿料」というものも頂いた。後に振り返ったとき、この1年は大きなターニングポイントになると思う。でも、それはデビューしたというカタチではなく、今までなかった感情や考えに気付いたという意味で、大きな大きな1年だった。

 というわけで、今年の更新は本日で終了です。今年も1年、ありがとうございました。
 


 < 過去  INDEX  未来 >


みのる [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加