みのるの「野球日記」
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2003年11月04日(火) 秋季関東大会(4) 万全の状態で

◇秋季関東大会準決勝(11月4日・大宮公園野球場)
甲府工業 000 000 000 0
土浦湖北 000 000 01× 1

 甲府工の敗戦が決まった瞬間、複雑な気持ちが湧いた。
 エース水野の投球がもう一度見たかった。いや、今後を思えば、ここで負けて良かったのかな……。
 センバツ当確ラインと言われるベスト4に残り、甲府工は関東大会を去った。
 
 甲府工のエース水野隼人(2年)。関東大会で、「見たい投手」のひとりだった。決して前評判が高いわけでもない。理由はただひとつ。中学3年のとき軟式の関東大会でベスト4に進んでいるからだ。山梨の増穂中のエースとして、秋春夏と県内三冠も達成している。当時のチームメイトには東海大甲府でこの夏甲子園に出場した清水満がいる。甲府工のサード初鹿優もそのときの仲間だ。

 大会前、高校に入ってからの水野のことを調べると、1年から試合で投げ始め、2年で早くもエースナンバーを背負っていた。この夏はエースとしてチームを決勝まで導くが、東海大甲府に完敗。中盤まで0−1で進みながらも、終盤に打ち崩された。

 関東大会初戦の聖望学園戦、はじめて水野のピッチングを見た。力投派というよりはコントロールタイプ。直球、変化球を内外角に丁寧に投げわけ、序盤は素晴らしいピッチングを見せた。170センチ、70キロと投手向きとはいえない体格。一瞬、高校の先輩・中込伸(元阪神)とダブって見えた。
 投球数が60球を超えるあたりから、水野が突如崩れ始めた。ストレート、変化球が高めに浮き始め、思ったように制球ができない。そのときは「バテたのかな?」と思いながら見ていた。
 7回表、4−3と1点差に詰め寄られたところで、水野はマウンドを1年生の三森祥平に譲った。ベンチに戻るとき、すごく不機嫌そうに戻ってきた。三森に激励の言葉をかけるわけでもない。うつむきながら、ベンチに戻ってきた。

 試合後、ベンチ横のカメラマン席にいた人から、こんな話を聞いた。
「水野、交代してベンチに下がってきたとき、泣きじゃくってたよ。熱い選手なんだろうね」
 塁上にランナーを残しての交代とはいえ、悲観するほどの状況ではない。ましてや、言い方は悪いが、これは秋の大会。「最後の夏」でもない。この話を聞いて、ますます水野に興味が沸いた。

 甲府工の原初也監督は試合後、水野についてこう話した。
「ヒジが悪いからね。よくあそこまで投げてくれたよ。もう50球〜60球くらいが限界なんだよ」
 周りを囲んでいた地元記者は、水野の故障をもちろん知っていたのだろう、格段驚きもせず、耳を傾けていた。私は……初耳だった。
 監督に話を訊いていると、知らぬ間に水野が取材ブースの隅にポツンと立っていた。目は真っ赤に腫れているようだった。
 水野が発した第一声は「今日は最悪」だった。ぶっきらぼうに言い放った。「途中から守りに入ってしまって、攻めのピッチングができなかった。集中力もなくなってしまった」。勝ちチームの投手とは思えない口ぶりだった。
 ヒジのことを訊くと、「今年の春の大会からずっと調子が悪い」という。「MAXは134キロ」というが、「ヒジが悪くなってからは、ずっと出ていない」と話す。
 原監督は「水野のヒジは相当悪いから」とも言っていた。水野をリリーフした1年生の三森も同じようなことを話していた。関東大会が終わったら、治療に専念することも有り得るくらい悪いという。
 
 2回戦の前橋工戦も先発。同じく途中交代だった。
「納得いかない」とポツリ。「自分のピッチングに? それとも交代に?」と訊くと、「こういうこと言うと怒られるから……」とすねたように言った。表情を見れば言いたいことが分かる。
 
 ヒジさえ良ければ、もっと良いピッチングができる。監督も水野もチームメイトも、同じように思っている。その中でも、「だましだましだけど、よく投げてくれているよ」(原監督)と言うように、エースとして最低限の責任は果たしている。でも、水野本人からはこの大会中、自分のピッチングに満足するような言葉はまったく聞かれなかった。

 関東大会ベスト4でセンバツはほぼ決まった。
 水野が甲府工を選んだのは「公立の高校で私立を倒して、甲子園に行きたかったから」。秋季大会では帝京三、山梨学院大付、日本航空と私立を次々と撃破し、関東大会出場を決めた。夏に果たせなかった目標を、秋には実現させた。
 センバツを迎えるまでの数ヶ月で、果たして水野のヒジは良くなるのだろうか。甲子園のマウンドに、万全の状態で上がる水野隼人を見てみたい。


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