みのるの「野球日記」
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2003年11月03日(月) 秋季関東大会(3) 背番号10

◇秋季関東大会2回戦(11月3日・上尾市民球場)
埼玉栄高 100 300 000 4
土浦湖北 102 000 21× 6

 埼玉栄の戸栗和秀監督は、不安定なピッチングをしていた1年生エースの三戸貴正(左投げ)を2回で下げた。三戸を引き継いだのは、背番号10を着けた2年生の平沼智史(右投げ)。初戦の文星芸大付に続く登板だ。

 初戦では先発した三戸を6回途中からリリーフし、3回2/3を3安打2失点に抑えるピッチングを見せた。代わった直後こそ、「はじめはかなり緊張した」という言葉の通り、2四球で押し出しの1点を与えるなど荒れた内容だったが、以降は立ち直り勝利の原動力となった。
「立ち上がりと最後が課題なんです。どうしても緊張してしまって……」
 2点リードの最終回。1点を返され、なおも1死二、三塁のピンチを招いた。後続を気迫のこもったピッチングで何とか打ち取ったが、課題は克服できなかった。本人も言葉にする通り、自覚している。
「県大会でも最後がダメだったんです」
 埼玉県大会の準決勝・聖望学園戦で平沼は先発。関東大会出場がかかった試合で、見事に重責を果たし、1失点の完投勝利を収めた。だが、3点リードで迎えた9回裏、1死一、三塁と攻め込まれる場面があった。
「常に攻めよう攻めようと思ってるんですけど……」
 意地悪だと思いつつも、「心が課題?」と訊くと、
「そうだと思います」と小さな声で答えた。

 初戦から中一日で臨んだ土浦湖北戦。センバツ出場がかかった大舞台で、平沼は3回裏からマウンドを任された。早めの交代について、相手の土浦湖北・小川幸男監督は試合後にこう振り返っていた。
「もう少し三戸くんに投げていて欲しかった。初戦を見て、平沼くんからはそんなに点を取れないなと思っていたんです」
 相手指揮官から高評価を得ていた平沼だが、やはり課題は立ち上がり。代わった直後の3回裏、4本の安打を浴び、2点を失った。それでも、この回に「圧巻」ともいえるピッチングがあった。
 2点を失い、なおも2死満塁のピンチで、8番加藤徹哉(2年)に対してカウント2−3。栄の捕手山本裕紀(1年)が送るサインに、マウンド上の平沼は「待ってました」とばかりに力強く頷いた。押し出しの可能性もある中で、投じたボールは何とフォークボール。加藤のバットは気持ちがいいくらい思いっきり空を切り、空振り三振。試合の大勢が決まるかもしれないピンチを、フォークで凌いだ。満塁で、しかもカウント2−3からフォークを投げる高校生……あまり見たことがない。
「シニアのとき、コーチからスプリットを教えてもらって投げてたんです。高校に入ってから、指の間隔を広げて、フォークボールになりました」

 4回表、味方打線が平沼を援護。ピッチャーからレフトに下がった4番三戸の三塁打を足掛かりに、好投手・須田幸太(2年)から3点を奪い、4−3と逆転に成功した。
 その裏から、平沼は見違えるようなピッチングを見せた。ストレート、スライダー、フォークのコンビネーションで凡打を積み重ねる。6回までの3イニングで許した安打はわずかに1本。「そんなに点をとれないと思った」という小川監督の言葉が現実のものとなった。
 ただ、「1点差のまま終盤になったら、平沼の心臓が持つか……」、スタンドからそんな心配をしていた。

 1点リードで迎えた7回裏。土浦湖北は1番田上英穂(2年)からの好打順。だが、平沼はわずか3球で1番、2番を仕留め、あっという間に2アウトとした。しかしここから、3番島田成紀(2年)、4番須田に連打を浴び、一、二塁のピンチ。打席には5番の左打ち澤高史(2年)。カウント0−1から「真ん中のストレート」(平沼)をライト前に打たれ、4−4の同点に追いつかれた。2死からの3連打。打たれたのはすべてストレートだった。
 場面は2死二、三塁に。打席には6番佐藤秀平(2年)。ここで湖北ベンチが仕掛けた。二塁ランナー澤がわざと飛び出し、三塁ランナーの生還を狙うサインプレー。これに栄の山本が引っかかり、二塁へ悪送球。三走の須田がホームインし、これが決勝点となった。

 平沼は8回途中まで投げ、マウンドを譲った。5回1/3を9安打3失点という投球内容だった。
 初戦後の取材で口数の少ない印象を受けた平沼。この日の試合後は、それ以上に口は重たかった。
「初戦に比べて、攻めのピッチングはできたと思います。でも、チームが負けちゃったんで」
 そして、ポツリと漏らした。
「勝ちたかったです……」
 それでも、負けはしたが、今大会で掴んだものはあった。
「関東大会という大舞台で投げられたことは自信になりました。これからもっと球速を上げて、安定したピッチングをしたい」
 下を向いてボソボソと喋っていた平沼が、このときははっきりとした口調に変わっていた。

 平沼は今年の春、夏とベンチ入りすらできなかった。「中学のときから持っていた」という腰痛のせいだ。2年の春に悪化し、ピッチングができない状態にまで陥った。夏はスタンドから仲間を応援することしかできず、「自分が出れなくて悔しかった」と振り返る。そのときのことを思えば、いまマウンドで投げられていることは喜ぶべきことである。腰痛も治り、平沼が目指しているものはエースナンバーだ。いま1年生の三戸が着けている背番号1を手に入れたい。
「中学のとき(浦和シニア)からずっと二番手投手だったんです。エースは徳栄にいった権田。栄に入っても二番手。1番をつけたいです」

 この関東大会では、三戸の不調もあったが、平沼はエース格の働きを見せた。2回戦での早めの交代に見られるように、戸栗監督の信頼も高まりつつある。
 関東大会ベスト8敗退で、「センバツ当確」と言われる関東ベスト4には残れなかったが、試合内容から選ばれる可能性は残されている。
「背番号1をつけて甲子園で投げたい」と平沼はいう。
 センバツ出場校の発表は1月31日。平沼のもとへ、吉報は届くだろうか。


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