2003年11月02日(日) |
秋季関東大会(2) いつもと同じように…… |
◇秋季関東大会1回戦(11月2日・上尾市民球場) 前橋工業 121 000 320 9 藤嶺藤沢 200 104 000 7 「18本も打たれれば、悔いはないですよ」 試合後、藤嶺藤沢の山田晃生監督は、サバサバした表情で振り返った。 「前橋工の打線はすごいと聞いていたけど、あれほどだとは思わなかった。ストレートもスライダーもカーブも、全部狙い打たれた。決め打ちして来てたんですかね……、それにしてもすごい打線でした」 記録に表れないミスが続いた守備陣にも話が及んだ。 「硬かったですよね。どうしたんだろう、何だろうと思うくらいですよ……」
もっとも大きなミスが2回表に起きたレフトの落球だった。単なる落球ではなく、同点に追いつかれるタイムリーエラー。落球で生きたランナーまでも、次打者のタイムリーで生還。無失点で切り抜けられた2回表が、終わってみれば2−3と1点ビハインドとなっていた。
主将でエースの清水賢吾(2年)は言う。 「県大会と比べて、緊張感が違い過ぎました。いつも通りいつも通りと思えば思うほど、硬くなって、7回に同点に追いつかれたときは、ベンチがもう負けたようなムードになっていました」
試合開始前、藤嶺藤沢を見て「あれ、おかしいな」と思うことがあった。いつもの儀式がなかったからだ。藤嶺は初回の守備に付くとき、キャッチャーを除く内外野の全選手がマウンドのもとへ集まる。ピッチャーが持つロージンバックを、全選手の手に回し、思いをひとつにする。ロージンを入念に手につける選手もいれば、頬に軽く当てる選手もいる。県大会ではいつもやっていたことだった。それが今日はなかった。 「センバツのかかった大会だから、選考委員の目もあるし……、あまり良いふうには見られないなと思って……。だから、大会前に、『関東大会ではやるのを止めよう』と決めたんです」(清水) 「関東大会」という大舞台が、いつもの藤嶺らしさを失わせていた。
清水が中学3年のとき、藤嶺はエース深沢(現専大2年)を中心とした守りのチームで関東大会ベスト8に進んだ。関東大会は、それ以来の出場。山田監督は「あのときよりもチームの力はある。とくに投手陣。清水以外にもふたりのピッチャーがいるからね」。県大会準決勝終了後、監督は自信ありげに話していた。 しかし、前橋工戦では、清水のあとを継いだ背番号10の山田が、7回表に1番の星に同点タイムリーを打たれるなど、わずか1アウトしか取れずに降板。「継投」で勝ち上がってきたチームだが、関東大会では機能しなかった。
清水に今後の課題を訊くと、 「精神的な面ももちろん、技術や力を上げないと、夏は勝てないです。ストレートのスピードも磨いていかないと……」 この秋の藤嶺は、細かい野球で勝ちあがってきた。ピッチャーの動きを見て逆をつくバント、要所で決めるエンドラン、相手打者の特長に合わせた継投。そのすべてがうまくはまった。実力で見れば、藤嶺以上に強いチームが神奈川にはあったが、秋独特の戦術で勝ちあがってきた。 「これが秋の戦いですよ」、県大会の試合後山田監督が満面の笑みを浮かべることが何度となくあった。逆にいうと、夏には通用しない戦い方だ。 関東大会を経験した藤嶺が、冬から春を経て、どのようなチームになるのか。注目してみたい。
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