みのるの「野球日記」
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2003年10月01日(水) 沖縄野球 (藤嶺藤沢vs平塚学園)

◇9月28日 秋季大会準々決勝
平塚学園 000 000 0  0
藤嶺藤沢 101 160 × 9

 次々とバントが決まり、チャンスでは確実にタイムリーが生まれる。「互角」と見られていた試合は、9−0と思わぬ大差で藤嶺藤沢が勝利を収めた。
 試合後、藤嶺の選手たちは「ヨッシャー!」「ナイスバッティング!」と喜びの声を上げながら、次々と控え室に戻ってきた。どの選手にも笑顔が浮かんでいた。
 選手に続いて、ベンチ裏に出てきた山田晃生監督も笑いが止まらぬ、といった表情だった。
「会心だよね。こんな展開になるとは思わなかったよ」
 話ながらも、自然と顔がほころんでいた。

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 藤嶺藤沢……、神奈川では「強豪」として名を知られているが、全国的には……どうなんでしょう? 
 甲子園出場はわずか1度だけ。PL学園が清原・桑田を擁し、決勝で宇部商を下した1985年の夏に出場している。初戦で、のちに大洋などで活躍した中山裕章がいた高知商と対戦。初回に5点を失うなど、全く良いところがなく、2−9で完敗した。
 当時の私は8歳。甲子園に出場する神奈川代表を心の底から応援していた。負けたときは1日中、暗い気分で過ごすほど……。藤嶺の敗戦は、大ショックな記憶として残っている。私が甲子園を見始めて、あとにも先にも、神奈川代表が初戦で完膚なきまでにやられたのは、この年だけ。8歳の心を裏切った(?)藤嶺に、あまり良いイメージはなかった。
 ちなみに監督を務めていたのは、現武相高校監督の木本芳雄氏。1971年に桐蔭学園の監督として、弱冠25歳で全国制覇を成し遂げた名将である。確か、藤嶺の監督に赴任されて、1年目での優勝だったと記憶している。

 プロ選手も輩出している。西武の投手陣のリーダー、石井貴。プロ野球界、ナンバー1の俊足とも噂される千葉ロッテ・代田建紀。ちょっと地味か……?

 そんな藤嶺に現監督の山田監督が就任されたのは1989年から(84年以前にも監督をされていた)。就任後、91年に春の関東大会出場。00年には秋季県大会準優勝となり、センバツをかけた関東大会へ。初戦で吉井(群馬)を破るも、2回戦で常総学院に完敗し、初のセンバツ出場はならなかった。このときのエースが、現在専修大でエース格の働きをしている深沢季生。エース深沢を中心とした守りの野球で、関東ベスト8にまで進んだ。

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「秋の大会は1週間ごとに試合をしますよね。その1週間で、次の試合に向けて万全の準備ができるんですよ。これが夏と違うところですよね」と山田監督。
 神奈川の場合、秋の大会は通常1週間に1試合のペースで行われる(準決勝、決勝は連戦)。埼玉や茨城は平日にも試合を行うので、過密日程になっているところもあるが、神奈川の場合は別。十分な調整期間が与えられる。
「平塚学園のビデオを見て、原くん(先発投手)のバント処理のときのクセに気づいたんですよ」
 平学戦を迎えるまでの1週間。徹底してバント練習を繰り返したという。気づいたクセを利用し、試合を優位に進める。雨の日も室内で、朝から晩までバント練習に明け暮れた。
 
 大量6点を奪った5回裏。藤嶺はバントを3度試み、そのうち1度は送りバント成功、2度は内野安打となった。内野安打は、ともに投手の動きの逆をついたもの。山田監督の分析と、徹底したバント練習がコールド勝ちを呼び込んだ。

 バントが次々と決まる場面を見て、ふと宜野座高校を思い出した。2001年のセンバツで旋風を巻き起こした宜野座野球。自由自在にバントを決め、ダイヤモンドを疾風のごとく駆け回る。藤嶺の野球が、それにだぶった。
 それもそのはず。藤嶺藤沢は沖縄遠征を行い、沖縄のチームとの練習試合を行っている。99年3月から始まった「海邦リーグ」(沖縄勢と本土勢が集う強化試合)にも参加し、沖縄野球に触れている。
「沖縄遠征は本当に勉強になることが多いんです。沖縄に行ったり、こっちに来てもらったり、6年前から交流があるんですよ」

 現チームを、2001年に関東大会に出場したチームと比べると、
「あのときはランナー三塁にいったとき、スクイズでしか、点がとれなかったんです。でも、いまのチームは違う。色んな攻め方ができるんです」と話す。
 色んな攻め方……、これも沖縄で学んできたものだという。次戦でどう披露されるか、楽しみである。

 というわけで、関東大会をかけた準決勝は今夏の優勝校・横浜商大と。
 マウンドを守るエースの清水賢吾は、深沢に憧れて藤嶺に進学した選手である。憧れの深沢に追い付くために、まずは関東大会出場を目指す。 



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