2003年09月27日(土) |
エースナンバー 堀内久大 (東海大相模vs横浜商) |
◇秋季神奈川大会 準々決勝
横浜商業 000 000 000 0 東海相模 020 000 01× 3
東海大相模、エース堀内久大 1安打完封勝利 公式戦初完封
2ヶ月前に行われた夏の神奈川大会。東海大相模は準決勝で横浜に敗れた。エース小林敦の力投報われず、0−2で惜敗。「閉ざされた夏の扉」を開けることは、今年もできなかった。 数時間後。全部員が学校に戻った。引退の決まったエースの小林は背番号「1」を手に、堀内久大のもとへ歩み寄った。 「頼むぞ」 短い言葉だった。けれども、その全てに小林の想いが集約されていた。
「複雑な心境でした」 エースナンバーを受け継いだ堀内は、今日の試合後、何ともいえない表情で振り返った。 「初めて1番をつけたとき、みんなに『似合わないよ』って言われたんですよ。複雑ですね。本当は、6番の方が気が楽で良いんですよ」 堀内は1年秋から、ショートのレギュラーとして試合に出場していた。打っても主軸を任された。マウンドに上がるのは、エースとしてではなく、「内野手兼投手」として。周りの見る目も、小林に対するものとは違った。 門馬監督は堀内についてこう話す。 「本当は1番ショートでやらせたい。でも、チーム事情でそれはできない。堀内がショートを守れる布陣になれば、チームの層がもっと厚くなるんですが」 夏の大会のときはこんな話もしていた。 「私が堀内に頼りすぎているところもあるんです」 見るからに野球センスの塊。何でもソツなく、それでいて人並み以上にこなしてしまう。走攻守すべてが高レベル。頼りすぎてしまうのも、仕方のないことかもしれない。
今日の試合。堀内は8回1アウトまで、ノーヒットピッチングを続けた。打たれる気配は、まったくなかった。打者を威圧するような投球テンポ。打者心理を見透かしたような配球。とくに凄い球があるわけではない。しいていえば、「頭」が良い。「勝てるピッチャー」だと思った。
先週の湘南学院戦。堀内は打ち込まれた。味方の反撃で8−3と逆転勝ちを収めたが、満足いく出来ではなかった。その試合を踏まえての今日のピッチング。門馬監督はこう評価をした。 「湘南学院戦の勝ちで、ひとりじゃ勝てないと分かったんだと思う。投手として、今日のピッチングで一歩成長したんじゃないかな」 エースナンバーのプレッシャーと期待。 「自分の力で抑え込もうと思ってました」と堀内も湘南学院との一戦を振り返る。「自分がやらなきゃいけない」という思いが強すぎた。
タテジマを着て出場する甲子園。堀内にとって、小さい頃から抱いていた夢だった。何せ、小学校の卒業文集に『東海大相模に入って甲子園に行く!』と書いたほどである。相模に進んだ理由を訊くと、「タテジマがかっこよかったんですよ」と、堀内の顔も自然と笑顔になる。 東海大相模といえば……、昨日、巨人の監督を辞任した原辰徳監督の母校。 「巨人ファン?」と訊くと、「いや、阪神ファンです」と即答された。 「だから、なおさらタテジマで甲子園に行きたいんです」と力強い言葉が返ってきた。
甲子園に出るには、まずは秋の関東大会出場が最低条件。それを満たすには、あと1勝が必要となる。相手は桐光学園を下した、横浜創学館に決まった。 堀内は更なる進化を遂げるため、秋のブロック大会終了後、新球のマスターに励んでいる。いま大流行のカットボールである。 「今日は7球くらい投げました。まだコントロールがつかないんですけど、大分コツが掴めてきました」 手応え十分の顔をしていた。
卒業文集で記した夢の甲子園へ。一歩一歩階段を登っている。
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