みのるの「野球日記」
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2003年07月27日(日) 堀内久大の夢まであと2勝(東海大相模vs藤沢翔陵)

 東海大相模は、昨日(26日)の横浜隼人戦でエース小林敦(3年)が完投。そのため、今日(27日)の準々決勝は背番号6の堀内久大(2年)の先発が予想された。
「堀内投げてくれないかな」と期待を込めながら球場に行くと、予想通り先発は堀内。
 堀内は、今年の春からずっと見たかった選手。1年秋からメンバー入りし、ピッチャーとショートで活躍。「野球センス抜群」と称される選手だ。
 
 堀内久大……、「久大」と書いて「きゅうた」と読む。
「きゅうた」の名を初めて耳にしたのは、2年前の夏。取材で訪れていた整体院でのことだった。
「きゅうた、相模に行くらしいよ」
「きゅうたなら、どこでも活躍できますよ」
 そこに、口を挟む。
「きゅうた……? どこの選手ですか?」
「新町(しんちょう)中のピッチャーだよ」
 以来、「きゅうた」という名がおぼろげながら、耳に残っていた。
 そして、堀内が1年の秋。相模の練習試合を見た知人から、「堀内というショートが良かった。周りの選手に『きゅうた』と呼ばれてた」とメールをもらう。
 おぼろげに残った「きゅうた」という響きが蘇ってきた。

 今日、初めて見た堀内は、思ったよりもまとまった投手だった。もっと、コントロールも投球フォームも、粗いピッチャーだと想像していたが、まとまりがある。
 6回まで投げ、無失点。3安打、無四球で付け入る隙を与えなかった。スピードは130km前後か。
 際立っていたのが、コントロールの良さ。打者21人に対し、3ボールになったのがわずか1回。18個のアウトのうち、ゴロアウトが14個。低め低めをついていた証拠である。タイプ的に誰に似ているか、真っ先に思い浮かんだのが、高校の先輩・筑川利希也だった。 
 
 堀内は筑川同様、フィールディングも抜群だった。
 以前、新町中の梅沢先生に堀内のことを訊いたとき、
「ショートの守備は抜群にうまい。守備だけなら、プロでも通用するよ」と話していた。
 今日は降板後、ショートの守備に入ったが、守備機会はフライを処理した一度だけ。その代わりにピッチャーで見せた。
 4回に藤沢翔陵の4番松本が、堀内の頭を越えていきそうな高いバウンドのゴロを放つ。堀内は軽やかにジャンプをして飛びつき、フワッという感じで柔らかく着地をした。そのジャンプした姿が、あまりにもキレイだった。本当に守備はうまいんだな、と実感したプレーだった。

 試合後、門馬監督は「野球センス、運動能力を考えると、もっと出来る選手だと思います。彼には期待をかけている部分がありますので。でも、ぼくが彼におんぶにダッコのところもあるんです」と、堀内について話した。
 守ってはショートで堅実な守備。打っては2番で繋ぎ役を果たすこともあれば、3番や5番でランナーを返す仕事もする。そして、投げてはエースの小林にひけを取らない力を見せ、きっちりと試合を作る。監督として、堀内みたいな選手がひとりでもいれば助かるだろうなぁという選手である。

 堀内は今日のピッチングについて、
「球が走っていなかったので、コントロール重視で低め低めに投げることを気をつけました。内野ゴロが多かったので、その点には満足しています」と時折笑顔を交えながら振り返った。
 ピッチャーとショートの両方で起用されていることには、
「中学からずっとピッチャーとショートでやってきたので、このままの形でこれからもやっていきたいです」

 先週、堀内の母校・新町中が県大会出場を決めた。
 堀内のときは準々決勝で内出中に敗退。県大会へは進めなかった。時折、母校の試合を見ることもあるそうだ。
「今年、東林中に勝ったんですよね。新町はいつも東林に負けてたんで、ほんと嬉しいですよ〜」と満面笑みの堀内。
 東林中に対する意識は相当強いようだ。
「東林中は筑川さんとか、甲子園で活躍している選手がいて……、隣の中学なんですよね。かなり意識しますよ」 

 2000年、筑川ー菊地のバッテリーでセンバツを制したときは、「テレビでしっかりと見ていました。タテジマがカッコ良かったですよ」と話す。
 じつは堀内、小学校高学年のとき、すでに「相模で野球をやる」と決めていた。
「小学校の卒業文集で、将来の夢を『東海大相模に入って甲子園に行く!』と書いたんです。相模のタテジマにすごく憧れたんです」
 それはすごい……!
 という私も、小学校のときは相模原市に住んでいて、相模のタテジマにものすごく憧れた。だから、堀内の気持ちが良く分かる。でも、文集に書いた将来の夢は「プロ野球選手」だったけど……。 

 堀内久大の夢まで、あと2勝。
 相手はセンバツ準優勝の横浜高校に決まった。


◇神奈川大会準々決勝
東海相模 001 200 4 7
藤沢翔陵 000 000 0 0


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