みのるの「野球日記」
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2003年07月13日(日) プロ注目の川和・加藤 初戦で散る(川和vs法政二)

 神奈川県大会1回戦。川和対法政二。川和は5回表まで、5対1とリードしていながら、5回裏に悪夢のような12失点。古豪・法政二に6対13の7回コールド負けを喫した。
 最後の打者は、ここまでチームを引っ張ってきたエース加藤幹典だった。カウント0−1からの二球目を打ち、一塁正面へのゴロ。一塁手がベースを踏んだ後、加藤はヘッドスライディングでベースに飛び込んだ。グラウンドに膝をつき、悔しさを見せたのはわずか数秒。涙も見せずに、試合終了の列に加わった。
 応援席への挨拶が終わると、号泣し、グラウンドから立ち上がれない選手が何名かいた。その中でも、加藤はすっきりとした表情を見せていた。起き上がれない仲間を抱え、慰めの言葉をかけていた。 

 川和のエース加藤幹典(3年)は、最速140キロのストレートと二種類のスライダーが武器。進学校から生まれたプロ注目の左腕である。昨年からエース番号を背負い、昨夏は1回戦2回戦と連続完封。続く、秋季大会では東海大相模を相手に1失点完投勝利を収め、その名を県内どころか、プロのスカウトに知らしめた。
 
 エースとして望んだ2度目の夏は、思いもしないコールド負けだった。2回に先制点を献上するも、味方が4回に5点を奪い逆転。加藤も尻上がりに調子を上げていき、勝利は濃厚のように思えた。だが、5回裏に大量12失点。原因は雨によってぬかるんだマウンドだった。

 雨は1回裏から、降り出してきた。2回3回にはかなり強くなり、マウンドは緩くなった。加藤はマウンド上で何度か、踏み出した足を滑らす場面があった。バランスを崩さないようにと思ったのだろうか。いつもとは違うところに力が入り、それが加藤の足に異変をもたらした。
 加藤の投球フォームも、ぬかるんだマウンドには向いていなかった。プロでいえばオリックスで中継ぎとして活躍した野村空生のようなフォーム。決して安定した投げ方とは言えない。全球、一生懸命に投げ込み、「抜く」ことができないフォームでもあった。
「3回頃です。両足のふくらはぎを攣ってしまって。これは、ヤバイと思いました。打者で走ったときも、かなり痛かったです」
 4回には、マウンドで足を伸ばす姿も見られた。そして、迎えた5回。1死から2点を失い、控えの川越にマウンドを譲った。
「監督から、行けるかと言われたんですが、足の状態が良くなかったので、自分から替えてもらいました。川越のことも信頼していましたから」
 加藤は、ライトから戦況を見つめた。ライトでも、何度も何度も屈伸運動をしていた。
 二番手の川越は、法政二打線を止めることはできなかった。4連打を浴びるなど、4失点。川和ベンチは「足の状態が良くない」加藤を、再びマウンドに上げざるを得なかった。加藤は、いきなり3連打を食らうなど、6失点。もう、どうにもできない状態だった。

 加藤は足を攣ってしまったことについて、
「足腰が弱かったということです。今まで、試合中に片足だけなら攣ったことがあったんです。両足は今日が初めてです。それだけ足腰が弱かったということです。いい経験をさせてもらいました」
 最速140キロのストレートは、今日は133キロ止まり。明らかに、好調時の投球ではなかった。それでも、雨もマウンドも、敗戦の言い訳にはしなかった。もう、次のステップを見据えていた。
「今日で終わりじゃないです。これは通過点。足りないものを補って、上に進みたいです」
 川和高校は公立では、県内屈指の進学校である。加藤は進路先として、「六大学で野球をやりたい」と名言した。今日の試合、ネット裏には加藤が第一志望とする大学の監督も、加藤のピッチングを見に来ていた。

 川和野球部での2年半を、加藤はこう振り返る。
「負けましたけど、ここまで楽しくやってこれたので、悔いはないです。川和を選んでよかったです」
 加藤は中学(横浜市立中山中)の野球部を引退したあと、甲子園出場経験もある横浜市内の強豪校の練習を見学に行った。もちろん、川和の練習も見に行った。それぞれの監督と話をし、進路先を決めた。
 市内の強豪校の監督は「チャンスをあげる」、川和の監督(現在の佐藤監督)は「おれが育てる」と言った。加藤は、佐藤監督の言葉に胸を打たれ、公立の川和を選んだ。
 加藤は1年の冬には半月板損傷で手術をするなど、自ら「ケガの多い選手だった」という。だからこそ、じっくりゆっくり育ててもらえる公立高校は加藤にとって合っていたのかもしれない。


 希望の大学で野球をやるために、乗り越えなければいけないのが受験である。。
「とりあえず、すぐに勉強しないとヤバイです。今まで野球漬けだったので、頭を切り替えます」と加藤。
 
 ちなみに、加藤が目標とする投手は「石井一久」。「気持ちで押していけるところが好き」で、ヤクルト時代からファンだったという。大学野球で目標に一歩でも近づけるよう、頑張って欲しい。


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