2003年05月09日(金) |
横浜国大野球部(2) 打倒私立叶う |
仕事中、携帯電話が鳴った。ディスプレーには「野原慎太郎」の文字。 「勝ちましたよ! 4−3で勝ちました!」 興奮気味の野原の声。 次いで、9回完投した渡邉。 「ほんと、良かったですよ。最初3点取られたんですけど、打線が4点取って逆転してくれて……。ほんと、良かったです」 再び野原の声。 「みんな号泣してます……」
5月9日。横浜国大が神奈川大を4−3で下した。 7日の初戦、エース渡邉が神大を1−0で完封し、対私立大学の連敗を28で止めた。翌日の2回戦を2−7で落とすも、今日の3回戦で再び渡邉が好投。2000年の秋以来、3年ぶりに私学から勝ち点を挙げた。
7日に完封勝利を挙げた翌朝、渡邉からメールが来た。 「本当に長かったです。3年目にして、初めて3強に勝つことができました」 北川(現オリックス)が2000年に卒業して以来、私立3強と呼ばれる関東学院大・横浜商大・神奈川大に負け続けていた。 国大にとって、私立を破ることが、この春の目標だった。 「1勝をとりにいくために、自分が第2戦に投げるという話も監督からあったんですけど、やっぱりエース同士で投げあって勝ちたかったので、第1戦の先発を志願しました」 渡邉は昨秋のリーグ戦終了後から、エース番号「18」を着けた。北川卒業後、2年間誰も着けなかった「18」を、自ら着けた。北川の携帯電話に連絡し、エースとしての意気込みを伝えた。 「何っていうんですかね、自分が着けなくちゃいけないと思ったんですよ」
今年の国大は違う。変わった。 渡邉や野原と話す中で、幾度となく出てきた言葉である。 だが、ここまで結果には結びついていなかった。接戦は演じるものの、勝ちにまでは至らない試合が続いていた。 野原の言葉がそれを象徴していた。 「もう良い試合はできる。でも、良い試合じゃだめなんです。勝ちたい」 開幕戦、関東学院大に0−7で完敗したが、以降は惜しいゲームを繰り返していた。 開幕戦から何が変わったのか。 今日、渡邉は電話でこう呟いた。 「自分のコントロールが良くなったこともあるけど、データが役に立っています」 去年まで相手チームのデータを収集することはなかった。分析を始めたのは今年から。3強に対し、素質では落ちる国大が勝つためにはどうすべきか。国大の頭脳を生かした。 ある試合後。学生コーチの黒田が明かしてくれた。 「今日出てきた相手投手。クセで投げる球種、全部分かっていたんですよ。でも、分かっていても打てない。歯痒いです」 相手打者に対しても、弱点を徹底的に分析。素質を頭脳でカバーした。
野原は4月13日、横浜商大との2回戦終了後、こんなことを言っていた。 「これまでの2年間、本当に無駄だった。何やっていたんだろうと思う」 この言葉は、「いま」が過去2年とは比べものにならないぐらい充実していることを物語っている。 過去には退部も考えたことがあった。 「辞めようと思ったことが何度もあったけど、大槻さんが『おれらの代になったら、必ず国大は変わるから』と言ってくれたんです。大槻さんがいなかったら、辞めていたかもしれません」 1年からレギュラーとして出場し、フレッシュマン賞の受賞経験もある主将の大槻。 国大の試合を見ていると、大槻がチームの支柱だと良く分かる。ときには大きな声で、そしてときにはプレーで、部員を鼓舞する。「変えたい」という気持ちが十分すぎるほどに伝わってくる。
横浜国大は、来週15日から神奈川工大と対戦する。勝ち点をあげれば、2000年秋以来の勝ち点3となる。
【横浜国大 今季の成績】 4月 4日 ●0−7 関東学院大 4月 6日 ●1−2 関東学院大 4月12日 ●2−3 横浜商大 4月13日 ●3−7 横浜商大 4月19日 ○5−1 横浜市大 4月21日 ●0−1 横浜市大 4月22日 ○2−0 横浜市大 5月 7日 ○1−0 神奈川大 5月 8日 ●2−7 神奈川大 5月 9日 ○4−3 神奈川大
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