みのるの「野球日記」
==すいません、ちょっと宣伝です==

●『中学の部活から学ぶ わが子をグングン伸ばす方法』(大空ポケット新書)

新刊が発売になりました。
しらかし台中(宮城)の猿橋善宏先生の
指導法などが掲載されています。
詳しくは、大空出版HPをご覧ください。
http://www.ozorabunko.jp/book/gungun/

●『グラブノート』(日刊スポーツ出版社)
BBA梅原伸宏さんのグラブ本。構成を担当しました。
親指かけ・小指かけの結び方、グリスの入れ方など、
グラブをよりよくするための方法が書かれています。

*ツイッター始めました
@mino8989 です。

2002年11月09日(土) 秋関(2) 再び甲子園のマウンドへ 〜浦和学院・鈴木寛隆〜

 関東大会の準決勝終了後、報道陣に囲まれた浦和学院・森監督は決勝戦の先発について訊かれると、
「須永(2年)しかいないでしょう。須永に疲れがあった場合は、今日投げた1年の今成かな。いずれにしろ、どちらかです。鈴木(2年)は……、ないですね。今日も調子悪かったからね。鈴木だけはないですよ」

 今年のセンバツまで、浦和学院にはふたりのエースがいた。甲子園で活躍した須永と、昨秋の関東大会決勝で13三振を奪った鈴木。ともに、130km後半のストレートと、鋭く落ちるカーブを武器にする本格派左腕である。
 ふたりの継投で、センバツはベスト8まで進んだ。だが、鈴木の登板はセンバツ以降、徐々に減っていった。夏の県大会の登板はわずかに5イニング。甲子園では、一度もマウンドを踏むことはなかった。


 準決勝。鈴木は4対2とリードした5回裏から登板し、2イニングを投げ、3点を失った。味方が3点を取り、逆転だけは免れた。
 7回裏からは、ライトでスタメン出場していた須永が、鈴木のあとを継いだ。応援席からは、エースの登板に大きな拍手が起こった。須永は3イニングを無失点に抑え、チームを決勝へ導いた。
 
 試合後、取材を受ける森監督のわずか5mほど先で、鈴木は勝ったチームの投手とは思えない沈んだ表情でストレッチをしていた。
「夏の甲子園が終わってから、監督に『腕を下げて投げてみろ』と言われて、試してはいるんですが……、まだ、自分で納得できていないんです。監督は腰の使い方がサイドに向いているとは言うんですが……。自分は、前と同じように上から投げたいんです。スピードに対して、こだわりを持っているから……。今はMAX134kmなんですが、上から投げてたときは138km出てたんで。速い球、投げたいんです」

 翌日の決勝戦。場内アナウンスは、先発に須永の名を告げた。須永は8回を投げ、14奪三振の好投を見せ、起用に応えた。終盤、横浜高校に3点を奪われ、敗れはしたが、来春のセンバツ出場を確定的とした。鈴木は、ブルペンで一度もキャッチボールすることもなく、9イニングをベンチで過ごした。
 
 表彰式が終わると、十人ほどの報道陣に囲まれる須永を横目に、鈴木は自分の荷物を片付け、バスに乗り込む準備をしていた。
「甲子園……。元のフォーム、上から投げるフォームで甲子園のマウンドに立ちたいです。冬に走り込んで、身体作りをして、もっともっと速い球を投げられるようにしたい。背番号1もまだあきらめていません」


 < 過去  INDEX  未来 >


みのる [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加