2002年11月03日(日) |
引退 〜東京大学・大滝則和〜 |
出場4試合。0打数0安打。試合に出たのは代走と守備だけ。打席数ゼロのため、打率は「――」。記録に残っていない。 これが、東京大学野球部・大滝則和の4年間の通算成績である。 10月28日、東大は明大に1−6で敗れ、2002秋季リーグの全日程を終えた。同時に4年生12人の引退が決まった。そのひとりである大滝は、試合終了の瞬間、一塁コーチャーズボックスに立っていた。
大滝の定位置が一塁コーチとなったのは、4年の春から。「守ることも打つこともないから」という理由で、大滝はそこに立ち続けた。 今年の春の開幕戦。一塁コーチをしている大滝を初めて見た。ベンチから、とぼとぼと歩いてコーチャーズボックスに向かうこと、ほとんど大声を出さないことが、印象に残っている。 しかし、28日の明大戦では、一塁ベンチからダッシュで、一塁コーチャーズボックスまで向かう大滝の姿があった。そして、ネット裏で見ていた私にも聞こえるほどの大きな声で打者に指示を与えていた。大滝の大声を、そのとき初めて聞いた。
春から秋。大滝が変わったのはなぜか。明大戦終了後、ロッカールームの前で話しを聞いた。 「春はできなかったんじゃなくて、やろうとしなかったんだと思います。どこかで、何でコイツが試合に出て、自分は出られないんだと思うときもありましたから。でも、もう今はないんです。良く言えば、吹っ切れた。悪く言えば、あきらめたんでしょうね」 秋になり、一塁コーチャーというポジションに全力投球する気持ちが、ようやく整った。 大滝が東大野球部に入った動機は「高校のときの先輩が、野球部でプレーしていたから」。出身高校は東京・筑波大付属。東東京大会で初戦負けが当たり前のチームである。大滝が高校3年の夏も、目黒学院に初戦で敗れた。そんなチームの選手が、大学でも野球を続けられる。しかも、神宮でプレーできる。「先輩を見ていて、東大に入れば、頑張れば野球ができるんだなと思いました」
頑張れば野球ができる……、でも、大滝は最終学年で一度も試合に出場することはなかった。けれども、「4年間は、それでも満足しています」と話す。「確かに、4年間で出場が4試合しかなかったのは、正直、少ないなぁと思います。でも、やるだけのことはやったという気持ちはありますから」
大滝は現在、法学部に籍を置いており、将来は検察官を目指している。 4年間も野球をやっていて、司法試験に影響が出ないのかと訊いてみると、 「知識は野球を辞めてからでも詰め込むことができますけど、野球から得ること、身体で体験することは、今じゃないとできないですから。4試合にしか出られなかったのは悔しいけど、4年間で得た経験は大きいです」と笑顔を浮かべた。
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