2002年11月02日(土) |
秋関(1) 新球カットボール 〜桐蔭学園・平野貴志〜 |
秋季関東大会が2日、神奈川県で開幕した。保土ヶ谷球場では7年ぶりのセンバツを目指す桐蔭学園(神奈川2)が作新学院(栃木1)と対戦し、3−2で競り勝ち、2回戦進出を決めた。背番号1を背負う「リリーフエース」平野の好投が光った。
平野は県大会6試合中5試合でマウンドに上がったが、そのうちの4試合が2番手としての登板だった。先発は背番号3を着ける1年生の渡邊。それを中盤から平野が引き継ぐパターンが、県大会終盤から出来上がっていた。
今日もまた同じだった。
1−1の同点で迎えた3回裏、作新は県大会で6割以上の打率をマークした1番岡崎が先発・渡邊のストレートを振り抜き、右中間を深々と破る三塁打で出塁。無死三塁、絶好のチャンスを迎えた。渡邊は次ぐ2番吉田をピッチャーゴロに打ち取り、1死三塁に。 3番は県大会でチームトップの打点12を稼いだ右打ちの大澤。渡邊は得意のスライダーを2球続け、カウント1−1。3球目に注目しようとすると、ここで三塁側の桐蔭ベンチが動いた。平野が小走りでマウンドに向かってきた。同点の3回裏、1死三塁、カウント1−1という場面での投手交代だった。
「県大会の決勝でもありましたから、特に問題はありませんでした。監督にいつ『行け!』と言われても良いように準備はしています」
10月5日、保土ヶ谷球場で行われた横浜高校との決勝でも似たような場面があった。0−0で迎えた5回表1死三塁、カウント2−2で渡邊から平野にスイッチ。平野は2者連続三振に打ち取り、ピンチを凌いだ。
大澤に対して、平野は得意球であるスライダーを多投した。カウント2−3となったあとも、スライダーで仕留めようとした。「自分では良いボールだと思ったんですけど」と平野が試合後に振り返るほど、右打者の外角低めへ逃げる最高のスライダーだった。だが、大澤は体を泳がされながらも、左手一本でボールを拾い、ショート頭上を越える勝ち越しのタイムリーを放った。平野は打球の方向を悔しそうに振り返っていた。
直後の4回表、桐蔭が北村のレフトオーバー三塁打で同点に追い付くと、6回表には先発した渡邊がタイムリー二塁打で3−2と勝ち越した。
平野は味方が同点に追い付いた4回から6回まで作新打線を無安打、5三振と抑え込んだ。出したランナーは死球のひとりだけ。得意のスライダーが冴え渡った。 だが、7回表、先頭の代打箕輪を空振りの三振にとったあと、8番杉山に真ん中ストレートをライトフェンス手前まで運ばれる三塁打を打たれる。 3−2、たった1点のリードながら、平野の投球内容からして、桐蔭に勝ちムードがあった。それが、この三塁打で一気に消えたように思えた。
1死三塁。作新ベンチは9番大島に代えて、右打ちの代打古澤を告げた。平野はスライダーを連投し、カウント2−2と追い込む。勝負球……、キャッチャーの中村は外に構える。が、平野が投じたボールはキャッチャーの意に反し、古澤の背中へ向かっていった。追い込みながらも、今日ふたつめの死球となった。
場面は1死一、三塁に変わった。
「もっともマークしていた」と土屋監督が話す1番岡崎を打席に迎えた。監督は背番号15を着けた木村を伝令に走らせた。この試合、最初で最後の伝令だった。
あの場面がヤマだった、と監督は振り返る。 「『逃げたら、絶対にダメだ! 逃げたら、悔いが残るから、インコースをどんどん突いていけ!』とバッテリーに告げました。ちょっと、バッテリーが弱気になっていましたから」
左打者の岡崎に対し、平野は攻めた。左バッターがもっとも苦手とする膝元へスライダーを落とした。カウント2−2から、空振り三振を奪った。
2死一、三塁。2番吉田が打席に入った。左打ちの吉田に対して、攻め方は岡崎と同じ。スライダーを軸にカウントをとり、ストレートは高めに投げさせる。目線を高めに持っていかせ、最後は内側のスライダーで空を切らせる。計算通りのピッチングで、2者連続三振。 最大のピンチを切り抜けた平野は、8回9回を3人ずつで片付けた。最後の打者をセカンドゴロに打ち取ると、右手で拳を作り、小さくガッツポーズを見せた。
得意のスライダーが冴え渡った……、と思っていたが、試合後の平野の口からは思いもよらない言葉が出てきた。
「今日はカットボールが良かったです。スライダーよりもカットボールを多く投げました」
ん? 変化球はスライダーだけだと思っていたので、「カットボール」という言葉が出てきたときは驚いた。訊けば、7回のピンチで2者連続三振を奪ったのもカットボールだという。「夏が終わってから土屋監督に教えてもらい、秋の大会から投げ始めた」と話す。監督は、「あのカットボールは、この秋ではなかなか打てないと思う。特にバントは分かっていてもやりづらいんじゃないかな」。
8回と9回に監督の言葉を裏付ける場面があった。8回は無死一塁、送りバントを試みる作新の4番佐藤に対し、カットボールを続け、3球ともにファールで3バント失敗。9回にも無死一塁で、作新は送りバントを試みる。カットボールを2球ファールし、3球目はバットにすら当たらず三振。飛び出した一塁走者を、キャッチャー中村が刺した。アウトひとつが残りながらも、勝利が決まった瞬間だった。
平野は桐蔭学園の付属である桐蔭学園中の出身である。エースとして活躍し、中3の夏横浜スタジアムで行われた『全日本少年軟式野球大会』で優勝を果たしている。「中学生レベルでは打てない」とも言われた、上手から投げ込む切れ味鋭いスライダーが武器だった。高校に入ってから、スライダーのキレがさらに増し、そこにカットボールが加わった。
そして、さらにもうひとつ、変わった点がある。
今年の6月頃から、中学時代からの上手投げをやめ、腕を下げるようにした。スリークォーターといえばいいか。初めてみたとき、昨年まで駒大で活躍していた桐蔭OBの川岸強(現トヨタ自動車)とだぶった。 「春先から調子が上がらなくて、監督に腕を下げて見ろ、といわれました。最初は正直抵抗ありましたね。でも、実際に投げてみて、すごくしっくりと来たので、これでやってみようと思いました」 ストレートのMAXを訊くと、 「今は139kmです。上から投げていたときは、136kmだったんです」と笑った。普通は上から投げた方が速い球が投げられるが、平野の場合は違ったようだ。それだけ、スリークォーターが合っていたのだろう。 次戦は、強打の4番松本率いる浦和学院と対戦する。「もっともマークするのは松本選手」と話す平野が、押さえ込むことができるか。注目の対決となりそうだ。
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