2002年07月25日(木) |
桐光学園全国制覇を目指し(7) 清原、今大会2度目の完封! |
神奈川県大会の準々決勝が25日、保土ヶ谷野球場で行われ、桐光学園が相洋を1−0で下し、ベスト4進出を決めた。悲願の夏の甲子園へまた一歩近づいた。 桐光・清原、相洋・内山のエース同士の素晴らしい投げあいとなったこの試合。6回裏に桐光が4番山田のスクイズで1点をあげると、投げては清原が気迫溢れるピッチングを見せ、相洋を振り切った。
試合開始予定時刻の11時が近づくにつれ、雨がちらほらと落ちてきた。天気予報では朝方に多少雨がちらつくものの、その後は晴れるということ。だが、予報は完全に外れた。10時50分頃から雨足は強くなり、一瞬にしてグラウンドは田圃のような状態に。当然、試合開始は見合わされた。
『12時をめどに試合を行うか判断します』という場内アナウンスが流れた。私はどんなに待たされてもいいから、今日やって欲しいと思っていた。なぜなら、今日試合をやらなければ、明日の休養日が潰れ、準々決勝から決勝まで3連戦となってしまうからだ。しかも、準々決勝のもうひとつの会場である平塚球場では、第1試合がすでに行われているという。雨の影響はないらしい。となると、今日の試合が中止になれば、休養日のあるチームとないチームが出てきてしまう。「どうしてもやってくれ!」と心の中で願っていた。
12時過ぎ。徐々にではあるが大粒の雨が、小雨に変わってきた。 12時半過ぎ。県高野連の方々がグラウンドに出てきて、グラウンド整備の準備を始めた。「ただ今からグラウンド整備に入ります」と、場内アナウンスは試合を開始する方向であることを観客に告げた。 それから1時間。ドロドロになったグラウンドを、職員の方々と、球場の手伝いをしている横浜商大の選手、そして相洋、桐光学園のベンチ外の選手がスポンジで水を吸い取り、新しい土を入れる作業を行った。 13時半。当初予定時刻から2時間半遅れて、桐光対相洋の準々決勝がようやく開始された。
待たされた試合。先発清原の立ち上がりが心配されたが、1四球を与えただけで、無失点で切り抜けた。武相戦で見られたような立ち上がりの乱れは全くなく、得意のカーブも右打者の内角低めへきっちりと決まっていた。「これなら大丈夫」と思わせる立ち上がりだった。
「雨で待たされていたときは、気持ちを切らさないように、いつでも行ける準備だけはしていました」
じつは清原には今日のように、雨模様の天気で、試合を行うか行わないか分からず、長い間待っていた経験があった。4月下旬のことだ。野呂監督がそのときのことについて話す。
「4月の終わりに対戦相手がうちのグラウンドに到着してから、雨が降ってきて、1度中止の決定をした試合があったんです。でも決定してから、雨が止んで、試合をすることになった。選手にももう『中止だから』と言ってしまったんですが、『もしかしたら、大会でこういうことがあるかもしれないから』と言って、試合をさせたんです。そのとき、先発させたのが清原でした。『晴れの日のピッチングは見てるけど、雨模様の中、こういうシチュエーションで投げるところを見てみたい』と彼には言いました。確か、その試合は清原が良いピッチングをして、今日のような僅差で勝ったと思います」
監督はここまで話をしながらも、「対戦校は覚えていますか?」と訊かれると、「う〜ん、それはちょっと思い出せないですね」と首を捻った。
しかし、当の本人、清原はしっかりと覚えていた。 「あれは木更津中央戦です。ほんとに今日と同じような感じで、雨が降っていたのが止んで。あのときの経験を、今日生かすことができたと思います」
3ヶ月前に貴重な経験をしていた。 雨による試合開始の遅れを、微塵も感じさせず、清原は好投を見せた。
序盤を無難に乗り切った清原に、最初に訪れたピンチは5回。無死から連打を浴び、一、二塁のピンチ。迎えるは8番の加藤(人)。加藤はバント守備を敷く桐光内野陣の裏をかき、バスターを試みるも、ファースト正面のゴロとなり、三塁封殺。1死一、二塁に場面は変わった。 清原は三塁がアウトになった瞬間、両手を腰の辺りで力強く握り締め、マウンド上で吠えた。そして、次の打者を三振に打ち取ると、さらに大きく吠えた。ポーカーフェイスが売り物の清原が、感情と気合いを体全体で表現した。
6回。桐光に2つのエラーが重なり2死三塁のピンチを迎える。 「味方のエラーでできたピンチ。自分が絶対に抑えてやろうと思いました」と試合後に話した通り、ここも気迫溢れるピッチングを見せ、無失点で切り抜けた。
その裏。清原の好投に応え、桐光が4番山田のスクイズで1点を先取。貴重な貴重な1点をもぎとった。
1−0。白熱の展開の中、清原は右打者内角低めへの鋭いカーブを軸にして、要所では渾身のストレートを投げ込んだ。長打が怖い1点差の場面でも、ひるむことなく内側を攻め続けた。
圧巻だったのが9回。先頭の3番、右打者の高橋(伸)に対し、カーブで追い込むと、最後は内角のストレートをズバリと投げ込み、見逃しの三振に。最後の打者に対しても果敢に内角を攻め、ファーストフライに打ち取り、完封勝利をあげた。被安打3、奪三振10、見事なピッチングだった。
野呂監督は清原の成長を話す。 「最後の最後で、内角を攻めることができる気持ちの強さ。それが春から、清原が成長した部分でしょうね」
「ノミの心臓」 東林中時代の清原は、そういう言われることが多かった。緊張することも多く、突然ストライクが入らなくなることも多々あった。感情を表に出すこともあまりない。マイペースに、クールに、感情をコントロールしていた。
でも、夏の清原は違う。ピンチを切り抜けると、鬼気迫る形相で雄叫びをあげる。ピンチでもひるむことなく内角を攻める。頼れるエースに成長した。
大会を間近に控えた7月上旬。早稲田実業との練習試合。8回からリリーフ登板した清原は、早実の右打者に対し、頭へデッドボールを当ててしまった。打者は動くことができず、救急車で病院に運ばれた。清原はそのときのことを振り返る。
「あのときはもう、マウンドにいたくなかった。もう、マウンドから逃げたかったです」 自分がデッドボールを当てた選手が、目の前で救急車に運ばれる。考えただけでもショックは大きい。 けれど、この夏、清原は果敢に内角を攻め込んでいる。 「早実戦でのデッドボールの恐怖はもうない?」と訊くと、「もうありません」と間髪入れずに答えが返ってきた。
内角を突ける気持ちの強さ。春から夏へ。背番号1は大きく成長した。 1−0。投手冥利につきるスコアで、5年連続のベスト4進出を呼び込んだ。
桐光学園は3年連続の決勝進出をかけ、27日横浜スタアジムで昨秋県大会の覇者・平塚学園と準決勝を行う。
夏の甲子園まであと2勝。
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