(仮)日記
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2005年06月01日(水) 隣人13号






中村獅童と小栗旬が「二人一役」というちょっと変わった演出で出演しているサイコ・サスペンスですね。
基の人格らしい村崎十三の小栗旬と、十三が生み出した猟奇的な13号の中村獅童のダブル・キャスト。

小学校の頃に苛められていた十三が心の奥底に秘めていた、苛めっ子の赤井に対して仕返ししてやりたい十三の思いを具現化したような存在が13号かな。苛められるのは嫌なんだけど、赤井に反抗することは出来ない。そのジレンマが形となって生み出された第二の人格。テーマは重いよね、この映画。

先ず、小栗が全裸で出てきます。真っ裸です。頬に傷があって、そこに蛆がわいているのかな。蝿のようなものが飛んでいる音がずっとしてたのでそうだと思うんですけど。小屋の中に小栗が一人、過去を思い出してなのか呻いていて、トランス・ミュージックが流れ、異様な雰囲気の中始まります。その十三(小栗)のもとへ、13号(中村)がやって来て、彼を小屋の外へ追い出すんですよ。13号自ら無理矢理に。
そして十三が放り出されたときには彼はアパートのドアから転げ出る、という。導入部分としてはなかなかです。ハッとします。

カメラワークは案外素直でしたね。映画の内容が内容だから、余り凝った作りにしなくても充分だと思ったんでしょうか。様々なアングルで「魅せる」映像にクラリとくる呉川などには多少物足りない感じもしますが。ハリウッドのぐるぐる視点の動く撮り方が好きな人にはちょっと淋しいかもしれません。壁ナメが多めです。
第三者の視点を意識してあるそうなので、被写体から少し距離を置いたアングルが多いのもそのせいかも。しかもカメラ固定してありますからね。

中村獅童の怪演は光ってました。相対する十三が(言っちゃ悪いが)余りぱっとしない(つまり華のない)小栗旬なので、その対比が際立つというか。
獅童がちょっと声を高めにしていたんですよ。で、台詞が非常に聞き取りにくいので余計にサイコっぷりがはまる。だらりとした動きが更に気味の悪さを誘って、赤井に銃を突きつけているときの笑顔が怖い。赤井夫婦の息子役の男の子は観覧車のシーンでマジ泣きしてたと思うんですよ。あんな顔の怖い中村獅童に迫られたら子供は泣くって(笑)

全裸の小栗と上半身裸の中村が向かい合って、飛び跳ねている場面があるんですが、私はそこが好きですね。流れているトランス・ミュージックのテンポに合わせてるのか後で曲の方を合わせたのかどちらか知りませんが。
お互いの認識(どちらかというと十三が13号を)みたいな。
13号に意識を乗っ取られないように立ち向かっている十三とも、牙を磨きながら十三の隙を窺っている13号とも取れる場面。きっとまだ幾つもの深い意味が隠されているんじゃないかと思うんですが。

この時に流れていた音楽のリズムが、後半で赤井が小学校を訪れて十三を探しているときにトイレから聞こえてくる水の流れ落ちる音が重なるんですよ。小学校の場面では曲は流れてないんですが、代わりにホースから落ちる水が音楽を作っていて。これ、似せるために水の量を調節したりしたんだろうけど。
十三と13号が小屋の中で鬩ぎ合っていたのを髣髴とさせる感じがツボだったんですけれども。

映画の中では、時たま小学校時代の映像が流れるんですが。
13号が赤井を銃で撃とうとしているまさにそのときにも、少年たちの映像が重なるんですよ。その中では、苛められていた少年が苛めっ子の少年に一矢を報いているわけですが、あの日あの時あの場所で、少年時代の十三が赤井に反撃できたかどうかで未来は変わったんじゃないかって暗示しているような。

その男の子たちは後々仲良くなったみたいで、苛めっ子(とその子分)と苛められっ子が一緒に歩いている。その二人の場合は、苛められていた側が苛めっ子に立ち向かったおかげで、苛めっ子に自分のことを少し見直させたみたいなんですね。それまであった身分の上下が、そのときから対等になったのだと思う。
それまでは子供たちの話は過去の十三と赤井のように見えるわけですが。

十三が苛められるままなら、未来は今回の映画のように新たな人格を作り、10年かけて復讐心を育てて実行に移していたかもしれないけれど、もし一度でも反撃を試みていれば、少年たちのように友達として新しい関係を築けていたのかもしれない。こちらはいい方の捉え方をした表現ですね。逆に言うと、あの少年たちにも、十三らのようになる可能性があったということを示唆しているような。
何が人を鬼に変えるかわからない、そんな怖さが滲み出ている感じの映画だなあと。
ま、私は原作の漫画を読んでないのでこの話は映画から受けた感想しかないんですけれどね。

パンフレットで役者さんご本人たちが言ってましたが、
この映画はR15指定なんですよね。でも、子供の苛めが社会現象となる日本において、こういう映画こそ、その年代の子供に見せた方がいいのではないかと。

確かに内容は残虐で、気持ち悪くて、子供に見せるものではないとは思うんです。が、結局苛めが現実問題になっているのってその禁止されている年代じゃないですか。子供たちが何の気なしにやっているかもしれない苛めも、将来もしかしたらこの映画のように自分に返ってくるのかもしれないという危うさに少しは気付いてほしいというか。模倣犯も現れる世の中だから、これを見て復讐に立ち上がる子供とか、苛めの方法がより悪辣になられても困るんですが、こんな未来もあるんだって、少しは足りない想像力を働かせてみろと言ってやりたい苛めっ子に。

まあ、実質、苛めは子供だけの問題じゃなくなってる現代日本ですが。誰でも持っている悪心を13号のように育てないように、他人への思いやりって大切なんだなあと思えればね。呉川は性悪説支持です。ま、そんなことは置いといて。
語ってますが、私とて善人ではありませんから色々と舌打ちしたかったり、クラクション鳴らしたかったり、殴りたかったり、罵倒したかったりすることも多々ございますけれどね。
語りすぎなのでここらで終わっときます。

特攻服姿のパフィーの由美とか、
テレビのお笑い番組でコントやってる劇団ひとりとか、
死体役に挑戦、石井智也(ドラマ版ウォーターボーイズの太くん)とか、出てます。
劇団ひとりは一体どこに現れるのかずっと待ってたんですが、そのまんまコント。でもそのネタが話を進めるわけなんですが。

三池が殺されてて驚きましたけどね。
まさかいつも監督やっててハードボイルド系とかそんな印象の強い(呉川の思い込み)あの方が珍しくも画面の中にいて、あまつさえ滅多刺しされてるんですから。
井上監督のコメントにも「普段三池さんはたくさん人を殺しているので、逆に殺してみました」などとあるくらい。



結論。
全裸の小栗の尻よりも前が気になった(笑)






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