加藤のメモ的日記
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2023年08月08日(火) 老いと病に向き合った人たち

松方弘樹 享年74

どんな無様でもいいから、芝居がやりてえな

「松方さんは60歳を超えたとき、肉体の老いと映画人生の陰りを最も感じたのではないでしょうか。自身がプロデュースした映画が軒並み失敗して、莫大な借金を抱えた。私生活でも仁科亜希子さんと離婚して、財産も、子供の親権も全部失いました。その頃、杏林大学病院での健康診断で、医師に『生きているのが不思議なくらい悪い状態だ』と言われたそうです。

こう語るのは晩年の松方弘樹さん(2017年没)にインタビューを続けていた『無冠の男 松方弘樹伝』の著者・伊藤明彦さん(60歳)だ。60歳を機に、酒もたばこも止めた松方さんだが、2016年2月に頭痛を訴え入院。10万人に一人といわれる難病・脳リンパ腫が見つかる。

脳リンパ腫の治療法は、抗がん剤投与と放射線療法の二つで、激しい肉体的負担を伴う。伊藤さんは本の出版を諦めかけていた。ところが3月、奇麗な文字で加筆修正された原稿が伊藤さんお元にFAXで届いた。「パートナーの山本真理さんに口述筆記させて、送ってくれました。検査のため脳に針を刺して細胞を採った直後だったそうです。松方さんの責任感の強さに頭が下がりました」

しかし、松方さんは脳リンパ腫の治療中に、脳梗塞を発症する。医師は付き添う山本さんに「回復しても、半身不随になります。役者としての復帰は無理でしょう」とひそかに伝えたという。

「役者にとって大事なのは記憶だ」と常々語っていた松方さん。脳が病に蝕まれて記憶が失われる恐怖と闘い続け、何とか役者として復帰しようと懸命なリハビリを続けた。周囲に気付かれないようにサングラスにマスク姿で、入院していた東大病院の近くの不忍池の周りを這うように歩いていた。

「言葉もうまく発せらない。体も思うように動かない。そんな状態でも、医者や看護婦と接するときは、相手がイメージする松方弘樹を演じることが染みついていた。『先生、もっと奇麗な看護師を呼んでくれよ』なんて冗談を言って、明るく豪快な松方弘樹を見せようとしていた」

2016年の秋ごろになると、松方さんの症状は一進一退を繰り返した。大好きだったカツサンドをバクバク食べる日もあれば、意識が朦朧とする日もあった。体重は40キロまで落ち、リハビリも思うように進まなかった。「このころ松方さんは「俺は車椅子に乗ったままでも、どんなに無様でもいいから、芝居がやりてえな」と周囲に、漏らすようになったそうです。

12月に脳リンパ腫が再発した松方さんは2017年の1月21にちに帰らぬ人となった。復帰に執念を燃やして受けた男が、迫りくる死を前に漏らした言葉は、最後まで、最後まで芝居への愛に満ちていた。


『週刊現代』7.10




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