加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will


2017年06月12日(月) 大橋巨泉「疑わしきは切る」 ��

生前本誌に語った がん闘病のポリシー

「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に「アッパレ!」をあげてください」7月12日、タレントで評論家の大橋巨泉氏が亡くなった。享年82.死因は急性呼吸不全だったが、寿々子夫人は冒頭のようにコメントを発表し、さらに「最後の在宅介護の医師の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです」と「打ち明けている。モルヒネなどの医療用麻薬は、適正な使用法を守れば安全なのだが、遺族としては無念さを隠せないのだろう。

巨泉氏は晩年、2005年に胃がん手術をしたことに始まり、中咽頭がんなど3度のがん手術と4回の放射線治療を受けるなど、がんと闘い続けていた。筆者は2013年、胃がんの手術から5年以上たった巨泉氏に、本誌の「がんからの生還」という企画でインタビューをしていた。しかし、その直後、巨泉氏が中咽頭がんを発症したため、原稿は未掲載のままだった。このインタビューで巨泉氏は、自らの闘病についての考え方を明確に語ってくれた。逝去された今、改めて巨泉氏のがん闘病のポリシーをお伝えしたい。

「その時に感じたのは”ああ、来たか”というもの。しょっくやかなしみではなく、いずれやってくるとおもっていたものが訪れた、という感覚。意外に冷静でしたね」(巨泉氏=以下、特に断りのない発言はすべて巨泉氏)巨泉氏が胃がん宣告を受けたのは、パリのホテルでのことだった。「あまりいい知らせではありません」そう始まるマネージャーを務める弟からのメールは、検査でがんが見つかったことを知らせるものだった。

巨泉氏は1968年から45年間、春に受ける人間ドッグを一度も欠かしていなかった。「僕は実存主義者で、人間は死んだら無になると考えている。人間が”ある”という価値を持つのは生きていればこそ。ならば、その価値を長く続けるための努力はすべきだろうと」

53歳で亡くなった母への誓い

2005年4月、巨泉氏は千葉市内の民間病院でいつもの人間ドッグを受け、医師からの進言で再検査を受けた。その後、テレビの旅番組収録のためパリに飛んだ。そこで弟からのメールを受けたのだ。「撮影が終わったら、女房と僕はプライベートでフィレンツェ、ロンドンを経てカナダに渡る予定でした。次に日本に戻るのは9月。弟の話では、一刻を争う状況ではないが、9月まで放っておくとなると状況が変わる可能性があるとのこど。それでフィレンツェ以降のスケジュールをすべてキャンセルして、東京に戻ることにしたんです。

私がこの時点で知っていたのは、胃の中央部に名刺より一回り小さい程度の面積、厚さ1.2ミリほどの早期がんがある、というものだけ。冷静ではあったけれど、死を意識しないわけでもなかった。今思えば、パリに来るものこれが最後かもしれないと考えたんでしょうね。毎晩女房と高級ワインを飲みながら、フォアグラのソテーばかり食べていました(笑)


『週刊文春』8.4


加藤  |MAIL