加藤のメモ的日記
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| 2017年06月09日(金) |
大橋巨泉「疑わしきは切る」 �� |
6月3日に帰国すると、3日後に築地の国立がんセンター(現国立がん研究センター)中央病院で精密検査を受けました。担当した内視鏡部長(当時)の斎藤大三先生から『立派ながんですが、内視鏡で確実に切除できる。内視鏡なら術後の痛みも少ないし、リハビリの必要もない。ただ、内視鏡だと転移の有無が不明確というデメリットはある』と説明を受けました。僕は即答しました。『開腹してください。そして、立派に切ってください』と」巨泉氏はこの時、母のことを考えていたという。
「母は僕が大学3年の時に子宮がんで亡くなりました。53歳でした。当初、医師の診断は子宮筋腫。結果として誤診でしたが、当時の医療水準では仕方がない。でも『手術して腫瘍を取ったほうがいいのでは』と不安がる母に、先生は『大丈夫。閉経すれば消えます』と答えていた。手術をしなくても消えるなら、無理に痛い思いをする必要もない。母は、医師の言葉を信じて病気を放置しました。息を引き取った後、母の亡骸を触ると、ゴルフボールより少し小さいしこりが体中のリンパ節にありました。しこりは胸や腋の下にたくさんあった。骨と皮だけの体に、がんだけがたくさん。その時に僕は母に誓ったんです。『僕はこれから何と言われても、疑わしきは切る』と」
巨泉氏は自らの胃がんの開腹手術をこう振り返った。「手術は当初の予定を一時間ほどオーバーしたものの成功でした。長引いたのは、想像以上に脂肪が多くて手間取ったからだという。パリでフォアグラなんかやけ食いしなきゃよかったよ(笑)僕のがんは胃のちょうど真ん中あたりで、理想的な手術ができたんです。そうは言っても胃を3分の1も切除したので小食にはなりました。手術から8年経ちますが、今も丼物を一人前食べることができません。すぐに満腹になるのに、2〜3時間すると空腹感が襲ってくる。だから今は1日5食が基本です」
術後につらかったのが、切開部の痛みだったという。巨泉氏の腹の中央には、タテに18センチ、17針の手術創が残っている。「術後1週間は地獄でした。体を大きく切開しているので、免疫反応で熱が出る。僕は平熱が36度台と低いのですが、手術翌日には38度台もあった。手術創の痛みも辛かった。腸管が正しくつながっていることを示す最初の現象は”おなら”ですが、寝たきりではなかなか出ないんです。病室でテレビを見るにも、横にならずに腰を掛けるようにしていました」
その後は順調に回復し、胃がんの根治を示す「術後5年生存」も、2010年にクリアした。巨泉氏の「疑わしきは切る」という母への誓いは徹底していた。「以前、後頭部にイボができたことがあります。医者は99%心配いらないと言ったんだけど、僕は『100%でないなら切ってくれ』と医者を説得して切ってもらった。とったイボは良性だったけど、僕は後悔していません。良性だったのは結果論だじゃら。僕は自分が納得すればそれを守るし、一度決めたことはやり抜く性格。だからこそ、」納得するまでは勉強するし、意見を求める。まだ誰もそんなことを言っていない時代から、セカンドオピニオンやサードオピニオンを取ってきた。これも自分が納得するための努力なんです」
一方で巨泉氏は、医学の限界も知っていた。「トム・ワトソンとゴルフをした時に、『君は球の行方を見すぎる』と指摘されたんです。それじゃダメかと訊いたら、彼はこう答えた。『球を打つまでは自分の技術。打った後は神の意志』なるほどと思いました。できることは打つ瞬間までの努力です。これは医療にも言えることで、病気になって治療を受けるまではできる限りの努力をするべきです。でも、治療後のことは神のみぞ知る。ならば神の手に渡る前に、最善の策を講じるべきだろうって。ただし、ここでいう神様とは、限りある人間に対して万能の存在があるならば、という意味。何しろ僕は無神論だからね(笑)」
このインタビューの最後に、巨泉氏は「いつか、自分が存在を認めることのない天国で、愛する母に『よく頑張ったね』と褒められることを夢見ている」と語っていた。
『週刊文春』8.4
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