加藤のメモ的日記
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2016年12月21日(水) 日本の魚河岸文化(1)

千年を超える歴史

日本の魚河岸文化は、少なく見積もっても、ゆうに千年を超える歴史を持っている。四方の海からこの列島に流れ着いてくる文化や情報を長い時間をかけて集積し、整理し、使いかっての良いように改良し、さまざまな独創を加えた末に出来上がってきた日本の文化は「もったいない」の保守精神を発揮して古い要素を捨てずに大切に保存してきた。

そういう日本文化の中でも、魚河岸はとりわけ古い文化の保存場所として、異彩を放ってきた。そこには生きの良い魚介のように、伝統が活け造りの状態で、いまだに生命活動を続けている。魚河岸は何といっても市場であるから、海産物の交易と流通が、一番の機能である。しかし、そういう経済機能だけではなく、そこには長い時間をかけて独特の文化が育てられ、保存されてきた
。それは食を中心に組織された、感覚のすべての領域に関わる文化である。見て美しく、嗅いで香ばしく、舌で味わって美味しく、嚙んだり啜ったり耳にすら心地よい日本料理の生れ出る根源、それが魚市場に保存されきた文化である。それはどんな博物館にもまして、伝統文化の保存能力に秀でた場所として、歴史を生き抜いてきた。

海産物への偏愛

魚河岸文化に保存されてきた文化は、海との深い関わりの中で自分を形成してきた、日本文化の核心部分に触れている。日本人の原型はよく知られているように、狩猟採集によって生活してきた縄文人と、米作りを行う海洋性の民族である弥生人が、混血を繰り返すことによって形作られた。その過程で地域差を持った根茎性の文化が、じっくりと形成されてきた。

縄文人も魚介類は好んで食べた。しかし彼らの社会では、森でおこなう動物の狩りのほうが、海や川でおこなう動物の狩りのほうが、海や川でおこなう魚の量よりも「高級な行為」と考えられていたので、魚介や海藻類に対する執着の度合いは、後からこの列島に入ってきた弥生人よほど強くはなかった。それに比較すると、弥生人の魚介への執着には、尋常ならざるものがあった。米作りもする海洋性民族としての弥生人は、半農半漁を生活の形態として、その食生活は米と魚介の組み合わせを基本とした。動物の狩猟よりも、海や川で魚介や海藻を取る漁のほうに大いに熱を入れた。

当然彼らは新鮮な魚介に高い価値づけを与えた。人間ばかりでなく弥生人の社会では神々でさえもが、御供え物として新鮮な魚介類と海藻を求めた。そのことは。伊勢神宮をはじめとする多くの神社でも今日でも神々への供え物として。鯛やアワビワカメを捧げているのを見てもわかる。弥生人の神々はもともとが海と深い繋がりを持っていたため、海産物のかたちを取った「海のエネルギー」の定期的補充が必要だった。

そのうち弥生社会の中から、「王」と呼ばれる存在が出現した。王は神々と庶民の間に立つ高貴な存在である。その王と王の権力を取り囲む人々が欲したのも、新鮮で高級な魚介を、食用に確保することであった。彼らはほとんど例外なく、権力を握るないなや、海や川で取れる魚介が、新鮮やうちに自分たちの手元に届けられるために、権力を行使している。これほどに、この国の権力は、新鮮な魚介類の確保を必要とし。それに執着し続けた。その執着が魚河岸文化の根源となっている。

アースダイバー


『週刊現代』12.10


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