加藤のメモ的日記
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2015年06月07日(日) 野村克也 野球は頭の使い方で決まる ��

[sa解離籍性大動脈瘤の治療に専念していたノムさんが、久々に戻ってきた。野球に存在する「間」を、選手たちが無為に過ごしている、とボヤキは健在。野球とは何かを突き詰めて考える大切さを説く。

まずは己の限界を知る

私が「野球は頭のスポーツだ」と断言できるのは、私自身の野球人生が技術ではなく、研究に支えられていたからです。1954年にテスト生で南海に入団して以来、現役時代は3017試合に出場し、戦後初の三冠王にもなった。監督としても5度のリーグ制覇、3度の日本1を成し遂げることができました。ただ、入団前の京都・峰山高校時代はプロ野球選手になれるとは考えもしなかったし、その力はなかった。病弱な母の女手一つで育ち、貧しかったので学校生活の合間を縫って新聞配達を続けていました。家計を助け、貧しい生活から抜け出したい、との思いで南海の入団テストを受けましたが、そのときも京都から大阪に向かう旅費がなく、高校の野球部の部長先生に頼んで貸していただいた。

入団テストでは投げる、守る、走ると部門別にテストがあり、私は肩が弱かった。他の受験生が一投目で合格ラインをクリアできても、私はクリアできなかった。2投目を投げる前、テスト手伝いに来ていた1年上の先輩選手が「前に行け」と囁いてくれて、本来のスタートラインより5メートルも前から投げて、ようやく合格ラインをクリアできた。私はその程度の選手だったのです。ですからプロ野球人生は「1年もこの世界で長く生きたい」と必至でした。入団3年目に1軍に定着しましたが、その年に感じた私の能力の限界が「野村野球」、いわゆる「ID野球」の原点になりました。

とうじ、何とか打撃で結果を遺そうと、打席で「直球を待ちながら変化球に対応する」という器用な打者を目指しました。しかし、三振また三振。なかなか改善されずに苦労しました。「三振を減らす何かいい方法はないか」と悩んでいたとき、テッド・ウィリアムズの打撃論を読む機会を得た。その中に、何気なく記されていた一言が、私に希望の光を与えてくれたのです。

「ウィラムズは投手が振りかぶったとき、直球か変化球かが、8割わかる」ウィリアムズは戦前から戦後に欠けて米国で活躍し、「打撃の神様」の異名を持つ、最後の4割打者。米国内ではベーブ・ルースよりも評価は高かった。投手は直球、変化球を投げるとき、ボールの握りが違うため、投球時の構えにも微妙な変化が生じるのだという。

翌日、早速南海の投手をブルペンで見たときも、直球を投げる場合と、変化球の場合の構えの違いが如実に表れていました。ボールを握るときの仕草が秒に変わり、振りかぶったときのクラブの角度も変わる。まさに私にとっては目からウロコ、宝物を見つけたような喜びがありました。以降、相手投手のクセを研究するために、裏方さんに頼んで、16ミリフィルムをネット裏で回してもらった。

メジャーは身体能力だけでプレーしていると思われがちですが、野球を深く考えるソフト面でも、日本よりはるかに進んでいた。ウィリアムズの理論に出会った直後の1957年に30本塁打で初の本塁打王に輝き、プロで生きる自信がつきました。そのプロセスで知ることができたのは、技術的な能力の限界の先に、本当のプロの世界が存在する、ということです。だからまず己の限界を知ることが先決なのです。打者は3割打てれば一流。2割8分、2割5分の打者なら、3割到達までの不足をどう埋めるのか。

私は当時、誰も注目していなかった相手のクセやデータを研究することで埋めることができた。人気や、持っている素質ではかなわなかった長嶋に、記録では勝つことができました。



『週刊現代』4.18


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