加藤のメモ的日記
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顕微鏡の下で繰り広げられるドラマは、一見、人間社会の出来事などとは全く関係のない世界のように思われる。しかし私は、細胞の世界で起こっている現象は、注意深く観察すれば人間社会の出来事と相似していることを日々教えられ、深い感動を覚えるものである。これが本書出版の動機である。ガン細胞の世界の中には、今を生き抜く英知の宝庫があり、ミクロの世界の中に、マクロの人間社会のあり方を語る心理があると思えてならない。
本書にて、具体的にその一面でも触れられればと願う。病気の原因を研究する病理学者は、その専門性を極め尽くしていく過程において、「細胞の病理」から「人間社会の病理」に思いをはせる。そのとき、病理学者は「哲学者」に変身する。発がん研究に携わる病理学者が、「ガン哲学」を提唱する所以である。自分の専門分野以外のことを話す時は、通常勇気がいる。自分の専門分野だけを語っていれば安全であり、どこからも、誰からも叩かれることはないであろう。しかし、ひとたび専門分野以外のことを語り始めると、必ず叩く人が現れてくる。
「虫が虫の生態現象を、その住処である泥の立場だけから論じる場合、それは学問的と呼ばれるのです。しかし、向上心のある虫が、空に浮かぶ雲の上の立場から虫の生態を考察したとたん、学問的という形容詞はつかないのです」(新渡戸稲造)。これは、今も昔も同じである。「向上心のある虫」のように、勇気を持って語る能力のある人物は、いつの時代も少ない。まさに慢性的「コワイコワイ病」である。
「マクロの議論をしながらミクロのところの詰めが甘いのも困るし、ミクロだけというのも大きな視野、展望がなくては困る。両者を兼ね備える職業的立場にあるのが病理学者である。ガンを「手で触れ、ガン細胞を顕微鏡で「にらみ」、頭でガン細胞のDNAの構造を思いつつ、人間社会の病理をも展望する。これがまさに、マクロを見て、ミクロもみる、発ガン研究に携わる病理学者〈ガン哲学者〉の姿である。
『がん哲学』樋野興夫(ひのおきお)
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