加藤のメモ的日記
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2014年07月24日(木) わき道をゆく ��

太平洋戦争当初、日本の勢力圏は南太平洋まで急膨張した。だが、1942年夏、米軍がガダルカナル島を奇襲し、米軍包囲の中、約2万人の日本兵が密林に孤立した。補給が途絶え、飢えに苦しむ兵隊をマラリアや赤痢が侵した。やがて密林で姓名判断がはやり出す。この非科学的であり、非人道的である姓名判断は決して外れなかったと、小尾は書いている。立つことのできる人間は寿命30日間。身体を起こして座れる人間は3週間。寝たきり起きられないんげんは1週間。寝たまま小便をするものは3日間。ものをいわなくなった者は2日間。そして、瞬きをしなくなった者は明日……。

今から20年前、私は共同通信の同僚と「沈黙のファイル」〈新潮文庫〉の取材をした。テーマは戦争。その過程でガダルカナル戦の関係者から話を聞いた。元陸軍中尉の大友さんはこう回想した。「食べられるものは草とトカゲぐらいだった。トカゲが目の前尾ちょろちょろすると、塹壕にへたり込んだ兵隊の目がカッと開く。丈の板で叩くんだが、体が弱っているから当たらない。逃げられると恨めしそうな顔をしてね」

密林のあちこちで死臭が漂う。死体はウジに食われ一週間で白骨に。飢えが極限に達し、死体のウジを食べる兵隊も現れた。「不思議なんだよね。死は友を呼ぶというか、死にかけた兵隊は白骨のそばに寝る。何もそんな所に寝なくてもと思うが、なぜか固まってしまう。やはりみんな一人で死んでいきたくないんだね」


陸軍の中枢・作戦課の参謀だった山本さんは(当時83歳)は1942年、ガダルカナル北西約1000�劼離薀丱Ε襪砲△觧蔑疉瑤貿標�された。直後に米軍のB17重爆撃機数十機が襲来した。爆弾が降りそそぎ、辛うじて飛び立った戦闘機は次々と撃ち落とされた。「ラバウルですらこうなのに、敵の制空権下にあるガ島の奪回は不可能だった。東京の大本営が奪回にこだわっている間に、ガ島では飢えで日に100人以上も死んでいった」と山本さんは語った。

10月ガ島奪回のための総攻撃に約18.000人が投入された。だが、空襲で輸送船6隻中3席が沈み、失敗。約2万人が島内に孤立した。山本さんの回想。「これだけの犠牲を払っても現地の司令部からは口が裂けても『撤退させて』とは言えなかった。陸軍の伝統は陛下の命令に命をかけるということ。その陛下の奪回命令には絶対に背けないんだ」
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『週刊現代』7.26


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