加藤のメモ的日記
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天下りは公務員制度のガンのようなもの
天下りはなぜ生まれるのだろうか。天下りは現行の公務員制度のガンのようなものだ。公務員制度そのものにガンを生む原因が内在してしまっているのだ。つまり、天下りは公務員制度の必然なのだ。だから始末に負えない。公務員制度は、実質、民間企業などにこれまで見られたような終身雇用ではない。多数を競争させて、昇進させ、ある時期が来ると肩たたきをして退いてもらうのが慣例なのである。
退くといっても、公務員法によって、公務員はその身分が守られているため、辞めさせるわけにはいかない。だから、天下りをさせる。早期退職勧奨制度だ。まさに人事の停滞を防ぐための措置なのだ。改めて考えてみれば、おかしな話した。公務員という身分は守られているのだから、いわば終身雇用なのに、その居場所はなくなっていく。だから、役所の外に居場所をつくらなければならないという矛盾がそこにあるのだ。まさにガンだ。
天下りの問題は、何もキャリアだけに留まらない。むしろ数のうえではノンキャリアの天下りの方がはるかに多い。どちらも問題だ。各省庁は毎年、20人ほどの事務官を採用するが、福島氏の同期はすでに4人に1人が役所を辞めているという。では、残りの人達はどうなっているかというと、生き生きしているのは、ほんの一握りだ。その一握りのいわばエリートは、自分こそがこの省、そしてこの国を支えていると息巻いている。その他大勢は、意気消沈して、やる気もない。辞めて民間に行くこともできないというわけだ。
だから、百歩譲っても、各省庁でキャリアとして必要なのは各年次に5人くらいでいい。あとの15人は、スタッフとしては必要かもしれないが、同じキャリアである必要はない。いや、むしろ公務員試験を受験した役人でないほうがいい。理系、あるいは法律、はたまた金融工学などの各分野での専門家の方がいいのだ。「ゼネラリストで、東大法学部を出たことだけが取り柄。書類を書くことが得意。誤字脱字を見つけることは誰にも負けない」……そんな人材はもういらない。
「同期横並び昇進」という慣行が天下りを生む元凶
天下りが現実味を帯びてくるのは、課長時代というのが一般的だ。課長から指定職である審議官へとステージが上がる段階で、一回目の振り分けが行なわれる。審議官になると、給与も大幅に上がるし、それに伴い退職金もドンと増える。ちなみに、課長職の年収は800万円といったところだが。審議官になると1200万〜1300万円に跳ね上がる。その時に選に漏れた人間たちが、まず天下る。その際に、秘書、個室、車という三点セットと1400万円以上の年収が必要になる。
なぜそれほどまでの厚遇が必要なのかというと、肩書をスムーズに行なうためだ。同期で残った人間よりも高い給与だし、体面も保てるから、「行け」となるわけだ。「安くなるけど、出ろ」ではうまくいかない。公務員の身分が保障されているから、再就職を断ったからといって辞めさせるわけにはいかない。だから、「飴」が必要にになる。その飴を飲みこんで出ていってもらわなくては困るわけだ。
民間のように、早期退職割増金のような制度があればいいのだけれど、そうはいかないのが現行の公務員制度というものなのだ。出世レースはまだまだ続く。局長を経て、最終的には一人の事務次官が決まるまで、同期の出世レースは続く。同期入省者、あるいは後輩から事務次官ないし次官級ポストが決まったら、もう退職を待つこともできず、役所を去るしかない。
なぜかというと、役所には「同期横並び昇進」という、民間から見ると訳のわからない慣行があるからだ。これは、読んで字のごとく、同期入省組は横並びで昇進するというものだ。そのため、後輩が先輩を決して追い抜かないという慣行もある。完全無欠の年次主義なのである。しかしこれには無理がある。局長や事務次官のポストが入省者の数だけなければうまくいかない。そんなことはあり得ない。当然、ポストはピラミッド状で上に行くほど減っていくから、昇進できなくなった者は、その場から消えなければいけない。だから、天下りはなくならない。その起源は、江戸時代にまで遡るといわれる。そういう意味では、日本の官僚制度はいまだに江戸幕府のままなのだ。
『天下りの真実』 市村浩一郎
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