加藤のメモ的日記
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2013年10月05日(土) 天下りの真実 ��

組織的かつ慣行的、保身的な斡旋や呼び寄せ行為

天下りとはまさに、天から降ってくるかの如く、受け皿となる各種法人に実質的な拒否権がなく、かつ、その降ってきた人材は、法人の維持、あるいは民間企業の場合の利権構造の強化に役立つという面はあるだろうが、組織の健全な活動の役に立たず、それでいて高給取りでプロパーの社員や職員から見れば、治外法権の存在となることなのだ。そうした天下りは、長らく中央省庁などに勤める国家公務員や、都道府県・政令指定都市の地方公務員が慣れ親しんできた雇用環境なのである。

天下っていく本人たちにとっては、それはまさに優雅な第二の人生だ。特殊法人や公益法人で、個室の大きな椅子に座って優雅に新聞を読んでいる姿を思い浮かべてもらいたい。しかも、一度ならず、「わたり」も多い。何度となく天下りを繰り返して、給料どころか、そのたびに高額の退職金までもらうのである。

もっともそこまで優雅な第二の人生を過ごせるのは、さすがに事務次官や局長といったクラスの人間に限られる。どこの役所か、そしてどのポジションで天下るかによって、第二の人生のクオリティ・オブ・ライフじゃ大きく違う。外郭団体を多く抱える財務省や国土交通省などの場合は、行き先が多様であるから融通も利く。ポジションでいえば、事務次官であれば総裁や理事長に天下る。局長経験者であれば、ナンバー2の理事が一般的だ。天下りのランク分けは意外と小刻みだとも聞く。課長以外はそれほど優雅ではない。そこには”現役こそ華”といえそうな色合いがある。課長、企画官以上の高級官僚に関していえば、その約6割が天下っているといわれる。

天下りは詰まるところ、税金の無駄遣いを生む

では、そうした天下りはどのような弊害を生むのであろうか。一つは、税金の無駄遣いを生むという点。もう一つは、天下り先のプロパー社員のやる気を阻害し、組織のモラルを低下させるという点。一つは、先ほどのトラック協会の陳情の件でも明らかなように、政策が歪むという点などを挙げることができる。

例えば、国交省のキャリアが、公共工事を請け負う側の建設会社に再就職することなどは、天下りの典型といえる。そこに何やらいぶかしい臭いがするのはいたしかたないことだろう。天下り先が民間企業の場合は、必然的にそうしたケースが多くなる。天下りを受け入れる側にも、それなりも目的意識があるというわけだ。その典型的な例が、公共工事の受注だ。たとえ、競争契約(入札)を行なうとしても、もし入札価格が事前に漏れていたら、そこに本来の競争はないということになってしまう。民間企業の側のニーズは、もっぱら役所からの情報収集と、働きかけなのである。もちろん、一部にはそうでない健全な理由もあるだろうが。

しかし、そうした官民の癒着をイメージさせるものだけが天下りの全貌ではない。税金の無駄遣いは各所で起こる。例えば「わたり」行為に対しては、その都度退職金が発生する。これも税金だ。さらにいえば、天下り先の確保のために、もっともらしい設立目的をでっち上げて、外郭団体や公営企業を立ち上げてしまうということすらやりかねない。

そうした団体や企業も、何らかの活動を行なう。極論すれば、それは本来必要のない事業だ。収益の上がらない道路や箱モノがつくり上げられることになる。その事業が必要だからではなく、天下り先を確保するためだけにだ。そうした外郭団体等を設立するために、財政投融資資金も投入されてきた。この原資は、国民の年金の保険料などだ。税金だけでなく、大事な年金の掛け金が無駄に消費されることも少なくないわけだ。

さらにいえば、そうした団体や企業がそれなりに必要な活動をしていたとしても、そもそもその活動や事業に意義があったとしても、そこに経営手腕がないために、あるいは真面目にやる気がないゆえに、高コスト体質が維持されてしまうという面も否定できない。NPOであれば、より低コストでより効果的な、例えば環境維持活動ができるのに、安易にコンペを行ない、しかも「高くて当たり前」という行政気質を持ったままだから、結果として高い見積金額での契約を推し進めてしまう。たとえ賄賂といった見返りがなくとも、恐ろしく高い金額が当たり前に支払われていく。これもまた、税金の無駄遣いに他ならないだろう。

外郭団体とは、いわば官公庁の調整弁的存在

ちなみに、特殊法人にはNHK(日本放送協会)やJRA(中央競馬会)、JT(日本たばこ産業株式会社)などが含まれる。また独立行政法人には、造幣局、あるいは産業技術総合研究所や土木研究所などの各種研究機関なども含まれる。いずれにしても、外郭団体のほとんどの仕事は関連官公庁の下請け業務であるが、なくてもいい団体も少なくない。それでも外郭団体は放っておけば増えていく。

統廃合どころか増殖の一途をたどる。毎年吐きだされる官公庁のキャリア、ノンキャリア脱落組が役員や幹部職員、あるいは嘱託などの身分で天下るためだ。そうした天下った役員などの伝手(つて)でその団体は生き残ることができるし、「呼び寄せ」といって、天下り役員たちが自分たちの後輩を呼び寄せ、後を継がせるわけである。天下りだけでなく、官公庁の人件費を見かけのうえで少なくするために、出向という手も使われる。まさに有能な調整弁なのだ。

キャリア官僚は今でも優秀なのであろうか

次にキャリア、ノンキャリアであるが、キャリアは国家公務員の上級甲種または1種に合格し、幹部候補生として中央省庁に採用された国家公務員の俗称だ。こうした制度は、明治以来変わらない。日本を近代国家にすべく、ドイツをお手本に公務員採用制度をつくったのが始まりだ。当時、帝国大学出身者は無試験で任用された。後に制度を改め、高等文官試験が登場する。これが現在のキャリア試験のルーツとなっている。だからいまだに東大法学部卒業者はエリートとされる。旧態依然たる考え方のうえに、虚構が築かれているに等しい。

法律は西洋から輸入した学問であり、それを原文で勉強し、身につけていることが特殊だった時代に作られた役人の仕組みがいまだに続いているわけだ。明治初期は大学と呼べるものは帝大のほかわずかしかなかったから致し方ない。しかし、いまや東大はそれほど特殊な大学ではない。また、法律も馴染みの深い学問であり、法学部出身者であることで、際立った技能が、身につくわけでもない。どの大学の出身者であっても、それなりの地頭があって、任用後にしっかりと勉強していけば、法制局と渡り合いながら法案をつくることなど、簡単とはいわないまでも、さして難しいことではないはずだ。

いずれにしても、高級官僚候補生を採用し、昇進させるシステムを「キャリア制度」と呼ぶ。本省の課長クラスまでは横並びで昇進し、そこから熾烈な出世競争が勃発し、その争いについて行けなくなった、またついていく気がなくなった人間が天下っていく。もちろん、全員ではないが。

ノンキャリアは、その他の職員だ。公務員試験で、国家公務員採用一種試験以外の試験に合格し、採用された公務員を俗にこう呼ぶ。広義には、地方公務員も含むようだ。キャリアとは違い、ノンキャリアは出世してもせいぜい本省課長クラスまでである。ちなみに官僚とは、決まった定義はないが、キャリア官僚の略で、キャリア組のことを指すようだ。



『天下りの真実』 市村浩一郎


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