加藤のメモ的日記
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| 2013年07月27日(土) |
アンネ・フランクはなぜ殺されたか�� |
持っているはずのないものを所持しているのを見つかると、少なくとも殴られることは免れなかった。それでもなお。彼らは物々交換したり、賄賂を贈ったり、買い取ったり、盗んだりした。温かい衣類や靴や、毛布や針と糸が交換された。ボールやスプーンまで交換された。それがなくては食事もできなかったのに。
アウシュビッツの「カナダ」で働かされた収容者はわずかな食料品や衣類をこっそり持ち帰った。宝石や金も持ち帰った。紙幣はトイレットペーパーとして使われた。ジャガイモ畑で働いていた人々は1、2個のジャガイモを隠して持ち帰った。収容所の外で働いていた者は普通の市民に賄賂をつかませることもできたかもしれない。親衛隊の監視兵さえ「買収」することが可能だった。けれども取引されたいた物はおおかた取るに足りないようなものばかりだった。普通の世界にいれば、何気なく捨ててしまうようなものだ。そんな物にさえ、生死がかかっていた。かりにそれがたった一日余計に生き延びることしか意味しなかったにしても。
生き残った人々は誰も、収容所での人間関係が親密だったことを語る。「一匹狼」は長くは生きられなかった。自分の命を危険にさらしてまで、人々は選別のときに病気になった仲間をかくまった。とりわけ衰弱した病人に、乏しい割り当ての食事を分け与えた。人員点呼の続く長い時間、気を失って倒れかけた者は、前と後ろにいた二人がぴったりと身体を寄せ、支えた。
とはいえ、収容所は高貴で、無私の場所だったというわけではない、そうではなかった。例外なく誰もが上のも者の機嫌をとったわけではない。けれどもそうした者も多かった。カポや棟の統率者の中には、親衛隊員に負けないほど残酷な者もいた。嘘をつき、騙し、機会さえあれば病人や眠っている仲間から物を盗み取った者もいた。
誰でもまず自分のことを考えなければならなかった。生き残る、ということは、全面的に利己的になることを意味していた。何よりもまず、自分の命を守ろうと、人々は「画策」し、争った。もしそれがうまくいけば、それがうまくいって初めて、他の者を助けることを考えることができた。あるいは助ける力が持てた。そして誰かを助けると、たいがいは礼が返ってきた。「画策する」体力もすっかり失った時に、パンのひとかけらを恵んでもらうような、そんな小さなことにすぎなかったとしても、恩は返ってきた。
あとになって証言するために、なんとしても生き延びる決意を固めた、と語る生存者は多い。周囲で起こっていることを目撃しつつも、ドイツは戦争に負けるだろうと多くが信じていた。生き延びて、いったいどのようなことが行なわれたのか、証言しなければならないと考えた。正常な世界の正常な人々には、収容所で実行されていた、そのような殺人計画など想像もできないだろうと、彼らは承知していた。このような恐ろしいことがあったことを人々が知るようになるためには、誰かが生き延びて体験を語る必要があった。その時初めて、正義がもたらされるだろう。収容所の悪夢の世界について語り合えることができたなら、そのような悪が二度とふたたび根付き、はびこることを防ぐことができるだろう。
『アンネ・フランクはなぜ殺されたか』 バーバラ・ロガスキー
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