加藤のメモ的日記
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| 2013年07月25日(木) |
アンネ・フランクはなぜ殺されたか �� |
ユダヤ人虐殺の記録
キリスト教の歴史の初期には、事実ではないのにユダヤ人はキリストを殺し、神を殺す者、などと中傷された。それはあまりにも根源的かつ恐ろしい非難だったから、ユダヤ人にはどんな悪事もはたらくことができると人々は信じた。プロテスタント主義を創始したマルティン・ルターは、キリスト教徒から見ればユダヤ人は悪魔について、もっとも邪悪な敵であると宣言した。
中世には、ヨーロッパで長年疫病が続き、何百万人という人が死んだが、そんなことになったのは、ユダヤ人が井戸に毒を投げ込んだからだと、犯してもいない罪を咎められた。そしてまた、ユダヤ人は宗教の儀式に使うための血液を手に入れるために、キリスト教徒を殺す、とりわけ何の罪もない子供たちを殺すと、でたらめな中傷を受けた。それが悪名高い「血の中傷」と呼ばれる事件だったが、ナチはそれから何百年もたった後に、そのような根も葉もない中傷を再び持ち出してきたのだった。
このように、ユダヤ人が長いこと平穏な暮らしを送れることはまれだった。ユダヤ人社会全体が襲撃され、略奪を受け、破壊された。ユダヤ人の子供たちは両親のもとから無理に引き離されて、キリスト教徒として育てられたこともある。改宗しないことを理由にユダヤ人は火あぶりの刑にされたこともある。ユダヤ人がしてよいこと、してはならないことは厳しく制限されていた。医者や弁護士になることを禁じられたり、ユダヤ人でない人々の教師になることを禁止されたこともあった。
キリスト教徒に食料品を売ることや、キリスト教徒を仕事のために雇うことを禁止された。キリスト教徒の看護婦から看護を受けることも禁止された。ユダヤ人でない人々が住んでいる建物の中に一緒に住んではならないといわれた。特別の衣類を身につけたり、布の記章を付けることを強いられたこともあった。しるしをつければ、一目でユダヤ人とわかり、彼らを差別することが容易にできた。
利息をとって金銭を貸すことを、キリスト教徒は罪だと信じてた。ユダヤ人はその役目を引き受けることによって社会の重要な必要を満たし、金を貸してほしい要請した非ユダヤ人に都合してやった。そのような役目をユダヤ人は長いこと果たした。そして徴税する権力を持った人々によって利用されもした。大きな農園の小作人たちを監督したこともあったし、金銭や財政問題に関して、権力の座にあった貴族と民衆の間をとりもったこともあった。「ユダヤ人は誰でも金持ちだ」とか、「ユダヤ人がすべての金銭を操っている」などという偏見は、おそらくそのような歴史に根差しているのだろう。
ユダヤ人は行く先、行く先の国々から追放された。イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、ドイツなどがその例である。追放を免れた場合には、特別の場所に住むことを強いられた。それがゲットーである。1700年代のロシアでは、「ユダヤ人強制集住地域」と呼ばれた地域の西に住むことだけを許された。そのような制限が撤廃されたのは、およそ200年後、20世紀になってからのことである。近代に近くなってからも、状況はあまり良くならなかった。ロシアや、ウクライナや、ルーマニアでは無数のユダヤ人がポグロムで殺された。組織された集団が無防備なユダヤ人社会を襲撃し、略奪し、破壊して居住者を殺したりひどい負傷を負わせたりした。1900年から1904年の間に、少なくとも5万人のユダヤ人がそのような事件で命を落とした。
『アンネ・フランクはなぜ殺されたか』
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