加藤のメモ的日記
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……非実在説もある聖徳太子を巡る「自殺」「心中」「怨霊化」の真相とは
飛鳥も奈良県である。このあたりを舞台にした最大の歴史ミステリーに、聖徳太子の存在がある。非実在説を唱える人もいるが、太子の実在は日本書紀などの文献ばかりでなく、法隆寺などの書庫物件が証明していると思う。
聖徳太子は「憲法17条」で、日本人の本質を的確に示した。実はこれは日本人の談合体質を初めて指摘した貴重な史料でもある。外交では「日出る処の天才」という書き出しの国書を隋(中国)に送り、「日本という国(これが国号の由来だと私は考える)を東アジア世界に知らしめた。しかし、その最大の謎はなぜ、死後「聖徳」大使と呼ばれたかということである。
当然ではないか、「とてつもなく偉大な太子だったからだ」というのは、実は日本史のルールが分かっていない。むしろ「不幸に死んだ」人間であればある程、その鎮魂のために重々しい称号で呼ばねばならない、というのが日本だ。
だからこそ「聖徳太子は怨霊である」と喝破したのが梅原猛である。聖徳太子は曽我氏によって子孫を絶滅させられた。そのことによって太子は怨霊化したと考えられるということだった。私も大使は不幸な死を遂げたのではないかと思う。大使の遺品ともいうべき玉虫厨子(国宝)には「身を捨てて仏教の教えに従う」という二大説話が描かれているのだが、これは身もふたもない言い方をすれば両方とも「自殺」の話である。
一方、伝承では聖徳太子はある日妃と共に寝所に入り、再び起きてくることはなかったという。普通に考えれば「心中」であろう。そして、その相手の考えられる膳妃(かしわでのひ)と、太子は同じ墓に合葬されているのである。
人物をその器量に応じて単純に讃えるのではなく、むしろ不幸な死を遂げた人々が怨霊化するのを防ぐために「聖徳」や「崇徳」などの「佳名」を死後に贈るのが日本のルールなのである。
週刊ポスト
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