加藤のメモ的日記
DiaryINDEX|past|will
三島さんの執筆姿、出来上がってゆく生原稿を見るのは初めてだった。愛用の太めの万年筆で、力強く、どんどん書いてゆく。殆どそのまま、編集者に手渡すのである。訂正がない。あっても原稿用紙1枚の中で一割足らずである。字体は流麗な角張り方で、勢いがある。のちに三島さんは剣道も身につけてゆくが、あの刺子の紺の剣道着の感じ―けじめを重んじた、凛乎とした文字である。
時々、ここ読んでごらんという。私の感想を聞くというよりは、二人の間にとどこおる空気をほぐすためのようでもあった。「悠一の中には君のことも書いてあるよ。どこか、わかるかなあ」と笑いながら言う。あの憧れの小説「禁色」の生原稿が、目の前で製作されていて、しかも混合折衷された主人公の一部に私も入っているなどとは、数か月前には考えもしなかった。
願ってもないことが、とは言うものの、空しく、白々と疲れている私には、それが嬉しいとも、何とも感じられなくなっていた。小説は、ちょうど、悠一と、悠一を愛する鏑木夫人が、東京の春先に吹く空っ風の中にいる場面で、雄一は主に見られる側で、鏑木夫人の心理描写に重点が置かれていた。
「悠一がこのプラム入りの温かいプディングを見る見るうちに平らげる子供らしさに、彼女は救われたような心地がした。自分の掌から飴を食べるこの若い小鳥のなれなれしさ、硬い純潔なくちばしが掌をつつく快い痛さ」という部分は、その時わかった、梓氏や倭文重さんからよく指摘された、私のあわただしいもの食べ方を下敷きに、これは大変、美化してあるのだと。
「いかなる贅沢にも華美にも一向おどろかず、しかも決して、わざとおどろくまいとしている貧しい虚栄は見られない。何もほしがらないので、すべてを与える気になるが、ついぞ感謝の色は窺われない。たとえ長袖者流の附合へ連れ出しても、この美しい青年の育ちの良さと惑ひ気の皆無は、人をして真価以上に買いかぶらせる。おまけに悠一は精神的に残酷だった。これが信孝の幻想を、必要以上につのらせた理由である」とあるのも、私がモデルであることがわかる。育つの良さが皆無とくるのである。
銀座で食事をする時も、三島さんは、「これタンといって、牛の舌なんだぜ。これで牛の一匹分なんだから、一番高い料理なんだよ」などと説明していたが、(食い者の値段など聞きたくない)という私の気持ちだったから、ついぞ感謝の色は窺われないとくるわけだ。そう見えたのだろう。ただ、これで私は、その後、何十年も(皿一枚分の一人前が牛一匹分)と思い込んでしまったのだが。
三島さんと、或るビアホールに行った時、つきだしは、とウエイトレスが聞くので、三島さんが何でもいいと言うと、彼女は「それじゃ、柿の種を持って来ましょうね」と言って去った。三島さんは驚きの目を見張り「へぇー、君、ここじゃ、柿の種を食べさせるんだって。あれ、食べられるのかい」と言うし、私も、柿の種がアラレの一種と知らなかったから、一緒に驚きの表情をして見せたのだったが、卓上に置かれたのは……この時、二人とも「ああ、これが」とも何とも言わずに食べた。
自分たちの無知に、改めて感心したくなかったからだろう。私の無知は別格として、三島さんにも、そんな「半可通」や「エアーポケット」の部分があった。
『三島由紀夫』
|