加藤のメモ的日記
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アメリカ第32代大統領のフランクリン・ルーズベルトは、おそらく歴代大統領の中で、最も偉大な大統領の一人であろう。彼は1929年の大恐慌のさい、ニューヨーク州知事として革新的行政を行ない、1932年現職のフーバーを破って当選した。彼の選挙公約は「ニューディール」であった。これは不況克服のため、政府が積極的に介入して、いわゆる自由主義経済に大きな修正を加えるという政策である。
まず銀行・通貨の統制、経済的に危機にある企業の救済、農業の救済、労働法の改正による労働者の救済、失業者に対する社会補償などがあげられるが、その重点は、基礎工業部門振興のための公共事業への投資など、多額の政府資金をばらまくことによって人為的に景気を回復することにおかれた。
この資金のばらまきは、造船所にも行き渡り、新主力艦をはじめ多くの補助艦艇の建造が始まり、錆びついていたクレーンも唸りだした。確かにアメリカは、ルーズベルト大統領のの一連の政策によって再起したかに見えた。だが、失業者はまだ多く残っていた。ニューディールには、やはり限界があったのだ。
つまりニューディールの改革と復興といっても、それはあくまでもアメリカの寡占企業体制の中の試みであったし、世界経済事態が復興していなかったことから、膨大なアメリカの供給力に対して見合う重要市場が成り立っていなかったからである。そのことが800万〜1.000万人の失業者となって現れ、完全雇用という彼の公約は、すでに破綻しつつあった。
アメリカは、独占資本家からブルーワーカーにいたるまで、需要の拡大を望んでいた。だがその膨大な需要は戦争以外になかったのである。その需要を呼び起こしたのは、結果的には日本とドイツであった。というよりも、この2国がアメリカの完全雇用の踏み台にされたということである。
日本とドイツは、それぞれヴェルサイユ体制ないしワシントン体制によってがんじがらめにされ、生きるためにはいわゆる侵略と非難される行動をとらざるをえないほどに、がんじがらめに追いつめられていた。その日独を追いつめた元凶は、といえば世界の自由主義体制の制覇を維持しようとしていた一握りの集団である。
彼らもまた戦争を望んでいたのだ。ただ、みずから戦争をはじめるという愚かさを避ける狡猾さだけは、失っていなかったのである。ルーズベルトは、その一握りの集団の意向を体現するために再選、そして三選されたのである。
…………
太平洋戦争で、在来型戦闘機に一大変革をもたらし、ついに日本を敗北に導いた兵器といえばレーダー(電波探知機)であろう。電波を発信して物体に当て、その反射した電波をキャッチして、その往復時間とアンテナの指向性とから物体の位置を測定するのが、いうなればレーダーの原理である。
この原理は、電波の発見(1886)以来すでに知られていたことであり、またそれに用いる指向性アンテナは、昭和元年(1926)東北大学の八木秀次、宇田新太郎博士によって発明されていた。
この原理と指向性アンテナとを兵器に利用したのは、イギリス(1935)であり、アメリカ(1936)であった。もちろんドイツも第二次大戦中に開発、使用していた。一方、日本ではこの新兵器の開発が遅れたために、苦戦を強いられることとなった。
アメリカ海軍のレーダーのため、日本海軍が最も得意としていた駆逐艦や水雷戦隊が夜間、敵艦隊に接近し、魚雷で敵艦に多大の損害を与える夜戦が無意味となり、また海空戦でも索敵能力に大差をつけられた。それらが、いずれも日本海軍の敗北につながっていたのである。
ところがこのレーダーも、日本海軍がアメリカ海軍はもとより、イギリス空軍よりも一足お先に使用できるチャンスがあったのだ。というのは、戦前アメリカの発明家はせっかくの発明が、軍はもとより民間航空会社からも相手にされず、経済的にも落ち込んでしまったことがある。そこで日本海軍に買ってもらおうと考えたのである。
その時の売値は30万円だった。つまり戦闘機数機分の金額である。というよりも、当時の銀座の土地数十坪分といったらよいかもしれない。だが海軍の艦政本部や航空本部のお偉方は、レーダーの原理がわからず、技術スタッフもすったもんだして一年ほどたった頃、イギリスでレーダーを本格的に採用するという情報をキャッチしたアメリカ軍部が、急いでその発明を買い取ったのである。チャンスの女神は連合国に乗り換えたのだ。
『太平洋戦争の謎』
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