加藤のメモ的日記
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人間を意図的に実験材料に使うわけにはいきませんが、けがや病気で脳に損傷がおきたり、生まれた時から脳に異常があるという場合には、どういう形質上の異常か、どういう脳機能の変調に結びつくかということを調べることで、脳機能が少しずつわかってきました、脳損傷患者は脳機能の最高の研究材料だということです。
人間の脳に関する重要な知見の多くは、実はこういう研究から得られてきたのです。ところが前頭葉の場合は、前頭葉に原因があるとはっきりわかっている病変があまりないんです。また、事故で太い鉄棒が前頭葉のど真ん中を貫いたというケースがあるのですが、この患者の場合、気紛れになった、迷いやすくなった、人の忠告を聞かなくなったなどの性格の変化はいろいろあっても、これといった知覚障害は起きなかったのです。
あるいは1935年から1960年にかけて、ある種の精神異常患者の脳にメスを入れて、前頭葉の前頭前野部分を切り離すロボトミー手術というものが行なわれていたことがあります。はじめはロボトミーによって、烈しい不安症状や異常行動といった精神病症状が緩和されるというプラス面がもっぱら評価され、マイナス効果はあまりないと考えられていました。
画期的な精神病治療法が発見されたと大喜びされ、ロボトミー手術の開発者にはノーベル賞が授けられました。しかしそのうち、ロボトミー患者に長期にわたる人格変化が起きていることがわかり、これはノーベル賞最大の汚点だといわれるよになります。
ロボトミーは患者を救うどころか、患者の人格を破壊していたのです。その人格変化というのは、仕事への興味をなくす、失敗を気にしない、積極性がなくなる、自発性が欠如する、無気力になる、抑制性が欠如する、野心が欠如するといったことでした。精神が異常になるとか、頭の働きが悪くなり知的水準が低下するといった目立ったマイナスがなかったため、はじめはプラス面だけが評価されていたのですが、すぐにはわからない形で人間性の最も大事な部分が破壊されるというとんでもないマイナスがあったのです。
脳の重要な研究方法の一つに破壊実験があります。脳のある部位がどういう機能を果たしているのかわからない時、そこをわざと破壊してみるのです。もちろんそれは。動物実験で行なうのですが、そこを破壊した時に何らかの脳機能が失われたら、それがその部位が果たしている機能だと考えることができるわけです。
考えてみると、病気や怪我で起きた脳障害の患者からの知見を得るといいうのは、偶然が起こした破壊実験の結果を利用したものということもできるわけです。ロボトミー手術も結果において、意図せざる破壊実験をやったのと同じことになったわけです。
ロボトミーによって失われたものこそ、前頭葉が果たしていた機能に相違ないのです、ロボトミーを受けた患者が、精神的にノーマルでなく精神に異常を抱えていた人々であったというサンプルの偏りはあったものの、ここにあげたような症状が患者全体にあらわれたことから考えて、前頭葉がやっていることは、このような症状と逆のことと考えらえれられるわけです。
つまり仕事に興味を持つこと、失敗しないように注意すること、計画性、積極性、自発性、気力、やる気、自己抑制、野心といったことがそれであると考えられるわけです。こういった要素は人間ならだれでも程度の差こそあれある程度あるものです。ところが実はこういう要素が動物にはおおむね欠けているんです。つまり人間をもっとも人間らしくさせているものとは、実はこういう能力であるということが、この不幸な失敗からわかってきたんです。
前頭葉がやっていることはいまだにクリアカットにはわからないんですが、比較解剖学的見地から、人間と動物の脳の最大の違いは、前頭葉にあるということははっきりしています。これだけ発達した前頭葉を持つ動物は人間以外にありません。脳の特徴からいえば、人間は前頭葉動物であるといってもいいくらいなんです。進化史からいってもそうです。系統発生をたどると、人類進化は脳進化として起きたということがすぐわかるんですが、その脳進化は大脳が大きくなる方向に、なかんずく大脳中でも前頭葉が大きくなる方向に進んできたんです。
だから、人間らしさをもたらしたものは何といっても前頭葉機能にあるだろうという推測は前から成り立っていたんですが、それはおそらく知的側面にあるだろうと考えられていました。しかしロボトミー患者からの知見で、人間らしさは必ずしも人間の知性にあるのではなく、むしろ生きる方向づけ、動機づけ、気力、意欲、目的、目的実現のための計画能力、自己抑制能力といったものにあると考えられるに至ったのは実に興味深いことです。
では、そのような能力をいかにして個々人が獲得していくのかといえば、大部分はその人の持って生まれた性(さが)によるものだろうし、それに加えて家庭教育、初等教育、社会教育などを通して幼い頃から各人に与えられたものが総合されて、出来上がって行くのだろうと考えられます。つまりこの点については、問題はもっぱら大学入試以前のところにあり、大学の出る幕はあまりないということです。
ここで覚えておいてほしいことは、人間が生きる上で一番大切なことは必ずしも知の領域にあるのではないということです。大切なのは何と言っても、生き方に関わる問題です。生きる意志であり、生きるパワーです。一言でいえば、生命力です。
大学入試にそういう要素をテストする項目が皆無であるため、しばしば大学にはそういう生命力が根本的に欠けている人間が入ってきます。無気力、無関心、無目的、チャレンジ精神皆無といった連中ですね。君らの中にもいるかもしれないが、それははじめから前頭葉に欠陥がある人間です。そういう連中には高等教育を授けることがほとんど無意味です。
もう一つ前頭葉欠落人間に特徴的なのは、社会性の欠如と自己抑制の欠如です。要するに、人格に問題がある人間です。他人を尊重するという人間関係の基本ができていない人間です。なべて自己中心的で他人が口をはさむとすぐ怒る、他者の心の中が理解できない。君らの周囲にもそういう連中が沢山いるでしょう。今東大には前頭葉欠落人間が増えているんです。
東大の卒業生の中に、官界でも実業界でも信じ難いような不祥事を起こすエリート連中が沢山いるでしょう。あれこそ、前頭葉欠落人間の典型です。本当は東大も、入学試験の方法をちょっと変えてああいう欠落人間は最初から入れないようにするといいんですが、相変わらずの学力検査中心主義ですから、これからも東大は前頭葉欠落エリートを社会に送り続ける役割を果たすことになるでしょう。
『脳を鍛える』
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