加藤のメモ的日記
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2009年11月17日(火) いのちを見つめて(2)

聖書に「ロトの妻」の物語がある。ロト一家の住むソドムの街は、、神の思し召しに反し、労働の喜びも忘れた人々は堕落し、風紀も乱れ放題だった。ついに神の逆鱗に触れ、天誅が下されることとなる。しかし、ロトは一人深い信仰心を持ちそれに応じた生き方もしていた。神はロトだけは救いたかった、で、ロト一家を避難させようと、神は町に火を放つ前に使者を出す。「だれにも告げず、何も持たず、一家だけが別の街に逃れよ。ただし、町を出るまで決して後ろを振り返ってはならない」

これが救済のための約束事であった。とるものもとりあえず、一家が町のはずまで来た時彼の妻は街を振り返ってしまう。そして、次の瞬間、石の柱となってしまった。ロトの妻の行為をして残してきた財産への未練や、掟に反することの戒めとして語られる。ところが、向田邦子さんは、彼女の心を「家族熱」と称し、同盟のドラマにもした。

誰しもわが身はかわいい。かわいいわが身を省みず、献身する行為を犠牲というのかもしれないが、強い絆で結ばれた夫婦であり、親子、兄弟、友人であれば相手を思う心に犠牲という言葉は似合わない。もっと素直に強烈に、喜びも苦悩もわがものとする行動に走ることもあるのではないか。、身を焼かれようと石になろうと、親類縁者の安否を気遣ったロトの妻の行為を「家族熱」と呼ぶのは美しい解釈だと思う。

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夫婦は二世、子供は一世というけど、本当は夫婦こそ一世なんですね。父は後に残す母のことだけが心配だといってなくなりました。子供は気にならないかと聞くと、母とは二人でひとつ、一緒に生きてきたから、一人残すの忍びない。子供は次の世代を生きる人間で、存分に可愛がりもした。生きる力だけはつけてやったというんです。はじめは捨て後にされた気分でしたが、素直な親でうらやましい夫婦だと思っています。

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亡くなった患者さんが病院を出る時、担当婦長以下病棟ナースとともに僕らは裏玄関に立つ。霊柩車は死者の満足も不満も、あるいは煩悩も達観も乗せて、ゆっくり走る。あなたの歴史に思いを馳せ、交わした言葉の数々を思い浮かべつつ、家族への慰めも込めて去りゆく霊柩車に礼をささげる。それで癒せる何物もないけれど。せめてもの主を込めた、これが僕らの精一杯。「お疲れ朝までした。いずれかの地でお目にかかるまで、安らかにお休みください」ある出会いに感謝を込め、万感の思いで頭を垂れる。

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若者に向って、出できだけ穏やかに英語で話しかける。「君どうしても手術は嫌なの」彼はまっすぐに僕の目を見て、大きくうなずいた。「でも君の治療にどうしても手術が必要なんだよ」彼は今度ははっきりと声に出して「ノー」の拒否姿勢を示す。こんな押し問答に腹が立って来た僕は、語気も荒くいった。

「いま手術をしないで放っておけば、君は2、3日で死んでしまうんだよ。とても危険な状態なんだ。それをわかっているの」それでも彼は首を横に振るだけだ。そして現地語で何かいった。ンジョクが僕の手を引張って耳元でささやく。「彼は死ぬと決めたんです。ドクター、もうよしましょう」ンジョクのいう意味が理解できなかったし、わかったように通訳する彼の胸の内も量りかねた。

ンジョクと若者の顔を見比べたが、混乱する思考をまとめることはできなかった。その夜は何とも腹立たしく、よく眠れなかった。「僕は死にます」といったあの男の目が、頭から離れない

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手術を拒否して死んだイボの若者について、岡村さんの解釈はこうだ。「イボの人たちは、厳しい自然環境にの下で生き抜くために大家族制をとっています。彼は片手となって家族に迷惑をかけるより、集団のために自らの意思で死を選んだんですよ。日本にも昔は枕落としや姥捨てがあったでしょう。あれに似た感覚でしょうね。この土地の生活は、次の代のために生命を譲るというか、人間も一生物であって、その自然な流れに従うのが宿命と思いたくなるんだなあ。厳しさゆえでしょうかね」

医者になって三十余年、診る側で人の生き死にかかわってきたが、このたびは僕自身が癌にかかった、一応無事生還の身となって、手術以来まる四年半の時間が経過している。いったんは死の恐怖にわしづかみにされ、少しづつその恐怖が遠のいたおと思ったら、次は再発の不安におびえることになる。

腹をくくったつもりでも、やはり爆弾を抱えた身の上はせつなく揺れる。さらに僕自身の闘病に前後して、愛する仲間たちが立て続けにガンで逝った。そうした中で、まさに半生を振り返って過去の様々な死に思いを馳せた。そこで、忽然と浮かび上がってきたのが、イボの若者の決断であり、祖父の最期であった。僕の動揺や煩悩にひきかえ、あの若者の死に際の簡潔なこと、自然なこと!また、人々の祈りの中で逝った祖父の死のなんと素朴なことであったことか。

自然の懐に抱かれて、どこか大いなるところへ帰ってゆく。それはきっと、誰に対しても限りない安らぎであるような気がする。僕がとらえる死のイメージだ。
 

『医者が癌にかかったとき』 竹中文良


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