加藤のメモ的日記
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エジプトに文明らしきものが現れ始めたのは、キリストの生まれる7〜8000年も前のことである。その頃エジプトに住んでいた人々は、獲物を追って移動する狩猟生活から、一か所に定着して家畜を飼育したり、穀物を栽培する農耕生活を営み始めたばかりだった。そして紀元前3200年から3000年の間にナイル川に沿って点々と居住していたこれらの人々の集団は、一人の頭首のもとに統合され統治国家が成立したのである。
上エジプトから始まったこの部族統一の指導者は、伝説によるとメネスとなっているが、これはおそらくエジプトの初代の王ナメルと同一人物であろうと考えられている。彼は勢力を北に伸ばし、国土を統合して、30に及ぶエジプト王朝の最初の王朝を樹立したのである。メネスはデルタの要の部分から南を約32キロ、上下エジプトの接点近くに王国の首都メンフィスの町を建設する。
以来、メンフィスはめざましい発展をとげ、メネス王の後も約400年間、二つの王朝の約18人の王たちがこの地で統治を行なった、王たちはメンフィス近郊に死後のための墓を作り、上下二つに別れていたエジプトを統括した。上エジプトで発見され、現在カイロ・エジプト博物館に収められている、ナルメル王の化粧版にはナルメル王が上下エジプトを統一していった時の戦いの場面が描かれている。
ピラミッドの底辺の四辺をその高さの二倍で割るとπの値になる。またピラミッドの底面積はその高さの二乗にπを掛けた値である。円周率が正式に認められたのはピラミッド建造後2500年以上もたってからのことであるから、この数値は驚異である。またピラミッドの三角面の高さを半径とする円を描くと、その円周とピラミッドの四底辺の長さが同じであるという関係ができる。
このπの謎について次のような新しい見方もできる。古代エジプト人はπを知っていたわけではなく、このπは実用的な面から必然的にでてきたものである。まず、ピラミッドの高さに対し、比例で底辺の長さを決めるわけであるが、当時の直角の作り方は3対4対5という比例で直角を作っていた。ところが底辺の一辺が230メートルもある場合実際に測ることは非常に困難である。
現在のようにスチール製の巻尺があっても、その時の気温、風力などに左右されるわけだから、ましてや古代においてパピルスの繊維で編んだ網を使って測量することは難しい。そこで古代エジプト人は、半径1キュービットの輪を作り、それで底辺の長さを決めていったのだろう。高さ1キュービットに対し、底辺の一辺の長さは2πキュービットとなるというのである。
ピラミッドの外面は基底の各辺の長さは230メートル、高さ147メートル、傾斜角度51度52分である。基底部の長さの差は20センチ以下、底部の北西角の一点と南東角の一点でのレベル差は2センチ以下、完璧に近い施工精度を持っている。はじめて大ピラミッドが第4王朝のクフ王の墓だと断定したのはヘロドトス(紀元前5世紀詩人でもあり今でいう新聞記者のような存在)である。
ヘロドトスはエジプトで聞いた伝承や、ガイドの話を興味深く書きとめた。その中で彼は、大ピラミッドがクフ王の権力誇示と、来世のために作られた墓であると述べている。さらに大ピラミッド建設のために、絶えず10万人の国民が三カ月交代で強制労働に服した。大ピラミッド建設用の道路を作るのに10年。ピラミッド自体には20年もの年月が必要であり、クフ王は国民を奴隷のようにこき使ったと述べている。
●運搬方法 古代エジプト人が機械を使用せず単純な道具だけでどうやってピラミッド建造を成し遂げたのかを考える場合、どんな道具が当時存在しなかったのかを知ることが必要である。この時代には滑車、シャジ、そしてそれから派生した力学的に便利な道具はなかったといわれている。その例として第12王朝の王が60トンもある自分の巨像を石切り場からナイル川まで運ばせている絵を見ると、巨像は櫓に乗せられ、明らかにころなしで枕木の上を運ばれている。
4本の引き綱を引いているのは172人もの労働者たちで、像の足に乗った一人の労働者は櫓と地面との摩擦を少なくするために枕木に水か油のようなものをかけている。一方、他に3人の労働者が天秤棒によって2個の予備水瓶を持っており、別の3人のグループは不ぞろいの大きな木材を肩に担いでいる。この木材は何のためのものなのかはっきりしてはいないが、櫓の前方に置くために後方から移された枕木だという説がある。この木材が不ぞろいだということは、肩に担いでいる面だけが平らになった粗い木材にすぎないということを示していよう。
また別の所で発見された石碑には、ナイルまで約18トンの石棺のふたを運ぶのに。全部で3000人が必要であったことと、わずかな傾斜角の斜面を運ぶのに100人の労働者で1カ月かかったことが記されている。大きな石の運搬には、木製の櫓が使用されていて、櫓はかしいだり丸く曲がったり、てこやころで補助ができるように下に湾曲していた。現在カイロ・エジプト博物館には5メートルもある大きな木の櫓が保存されている。
『ピラミッドの謎』 吉村作治
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