加藤のメモ的日記
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2009年10月26日(月) 中川昭一大臣の死

先のG7¨もうろう会見¨の際もアルコールが原因ではない、風邪薬の副作用だと当人は言い訳していた。仮にそうだとしても政治は結果責任だ。自らの健康状態も管理できず、あの重要な席で世界中に醜態をさらした。大臣である以前に政治家失格だと思う。中川氏は保守派の国士であったと聞くが、あんな″国辱″的な醜態をさらして、武士の世なら当然、切腹ものだろう。

だが、この民主主義の時代にそれは許されない。選挙で選ばれた代議員がその任期中に、有権者から託された責任を放棄して、自ら命を立つ権利などない。松岡利勝農水大臣の時の時にもそう思った。いや、参議院比例代表で70万表のトップ当選を果たし、任期を4年も残しながら、自分の勝手な都合で国会議員を放り出した元大臣・竹中平蔵のような無責任な人物もいるが。

そんな中川氏の死を悼むのが、総理大臣在任中に健康問題で政権を放り出した安部晋三だというのは、何ともうそ寒い光景だ。安部元首相は中川氏と同じ50代半ば。健康状態こそ政治家には重要だろう。中川氏の死を無駄にしない、という意味では、現政権下の各大臣の健康状態を(それこそ身体検査をして)開示するというのはどうか?

何しろ、そこに我々国民の命運がかかっているのだから。こういう意見は死者を鞭打つ冷徹なものと思われるかもしれない。だが、考えてほしい。家族と一緒に飛行機に乗ったら、機体がふらふらして墜落しそうになった。何とパイロットがアルコール中毒で酩酊していた。すぐに解雇された彼は復職を願ったが、健康上状態に問題があり、急死した。

その時私たちはああ、いい人だったのに残念だと思うだろうか?冗談じゃない。大切な家族が乗った飛行機がそんな人間に操縦されていたことを知って、ゾッとするだろう。憤ることだろう。私たちは権力者に対して、常に冷徹な目を持たなければならない。

飲酒運転でさえ厳しく罰せられる世に自明のことだ。私は中川大臣の死を悼まない。こういう人が財務金融の長であった政権党の政策によって年間3万人ともいう自殺者のその相当数の人々、非常な国家の経済政策に切り捨てられ、自死を強いられた犠牲者たちこそが、真に悼まれるべきだ。



『週刊朝日』10/30


加藤  |MAIL