加藤のメモ的日記
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「さあ、行こう」 兄はそう言いました。従妹は私を迎えるのがうれしいのか、はしゃいでいるようにさえ見えました。そして三人はなんとなくゆっくりとした歩みでどこというあてもなく進んで行きます。その時の私の心の中といえば、それまでかって体験したことのないような迷いでいっぱいだったのを覚えています。
…三途の川を渡るべきか、戻るべきかと迷う。 私は彼らについて行ったらいいのか、それともこのまま引き下がろうかと迷い続けていました。迎えに来ていた兄は、私をこの上なく愛し、出征した時も「大陸に愛チャン後にわれ立たん」という言葉を残したほどでした。それが不思議なことに、目の前の兄はあの優しさに満ちた表情がないのです。
どうしてこんなに変わってしまったのかしらとあっけにとられるほど無表情なのです。非常にビジネスライクで、私に対するやさしさなどかけらも見えません。ヒヤッとするほど冷たいのです。私の心の奥深くに生きていたあの兄が、こんなにも冷たくなってと悲しみがこみあげてくるのでした。私を迎えにきてはいるものの、だれかに依頼されて仕方なくそこに来ているというのが見え見えなのです。
私の気持ちは絶望的になっていました。それでも、「さ、行こう」という兄の態度に促されるように彼らと歩いていました。心の通い合う道づれではなかったせいか、私は無性にいら立ってきたのでした。
そのせいで、家に帰ろうかという気持ちがだんだん募ってきたのでした。するといつしか兄の姿が見えなくなっているのです。どこで、いつ別れたのかは記憶にありません。従妹もいつの間にかいなくなっていました。私は、たった一人で昼とも夜ともつかない、暑くも寒くもない未知の世界に取り残されました。
それでも立ち止まることなく私は歩き続けました。すると、前方に大きい河が見えてきたのです。水量は多く、とうとうと流れていますが、深さはそれほどでもないという感じです。素足でその川を渡るのはとても大変なことだ、渡れるははずはないと、自問自答しているのでした。どれくらいその川岸に立っていたのでしょう。その時間の長さについては、ほとんど記憶にありません。
我を忘れて立ちつくしている時、川の向こうのほうで弟が何か言っているのだけはわかるのです。兄と同じように仲良しだった弟もまた、若くしてすでにあの世の人になっていたのでした。
…弟の来るなという合図で現世に戻る。 事故で死んだ弟がたった一人で川の向こうに立っています。そして、「来ちゃいけない、来ちゃいけない」と、泣きながら大粒の涙をこぼしてサインを送っているのです。懐かしい弟の姿を見て、私はなんとかして川を渡り、向こう岸にいる弟に会いたいと思ったのです。弟の立っている向こう側の様子は、川のこちら側とは違って寂しそうに映りました。
人の姿も何も見えない、荒涼とした平原です。見ているだけでひしひしと寂しさが伝わってきます。そんな寂しいところなのに、向こう岸までどうにかして行きたいのです。周囲はどんよりと重苦しく、空は低く下方へと落ちていくような河向こうこそ、あの世なのでした
。私は比較的自己主張しない素直な性格で、だれかがそうしなさいといえば、はいと従うというタイプでした。ですから弟が川の向こう岸で来るなという合図をするのを見て、行ってはいけないのだ、もとの道を戻らなくてはいけないと、すぐに思ったのです。それに、川向うの荒涼とした雰囲気を感じ取り、行くのをよそうかなともためらっていたのです。
その時突然、母の声が響いてきました。 「愛子、愛子、行っちゃ駄目よ。しっかりしてよ。気がついて」ああ、母がすごく叫んでいる。戻らないといけないなあ、うるさいなあ。でも、また、いつか来るからいいやなど、次々に思いがめぐって戻ろうと決心したのです。
肉体から魂が離れてから、時間にして十五分ぐらいの旅だったでしょうか。私は三途の川まで行って戻ってきました。三途の川から戻って来てしばらくしてから元気になりましたが、魂が肉体を離れて上昇し、浮遊をはじめたとき、魂は病室の天井板の節穴を見つけ、それを記憶にとで目ていたのでした。この世に戻ってから、その時のことを思い出して、節穴を探してみたらありました。
『死後の世界』 宣保愛子 2003年 5月16日 71才で胃がんで死去
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