加藤のメモ的日記
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2009年08月14日(金) 日本が戦争に負けたもう一つの理由

かって鹿島建設の副社長を務めていた佐用泰司という方の「基地設営戦」という本がある。この本には第二次世界大戦のとき、彼が海軍設営隊の隊長としてニューギニアへ赴き、そこで航空基地の設営にあたったことが主に書かれている。現場で直接働いていた彼によると、日本は最終的に戦争に負けただけでなく、航空基地の建設においてもアメリカに負けていた、という。

単純に考えれば日本は技術の差でアメリカに負けたと思うだろう。確かに当時の日本にはブルドーザーやスクレーパーをもつ技術がなかった。せいぜいツルハシとモッコ、トロッコ程度だった。だが日米両軍の基地建設競争で日本がアメリカに負けた本当の原因は、技術の差ではなかった。

米国海軍は日本海軍と同じく開戦前後に基地建設を担当する「設営隊」の編成に着手している。スタートは同じということだ。しかし日本には決定的な「発想」の違いがあった。米国海軍は基地建設といった土木工事を担当するのは専門的な技術を身につけさらにその業務に習熟した民間人を起用するのが最適という常識的な判断を尊重した。

それに対し日本海軍は基地建設といった専門知識の必要な分野であっても、それを担当する部隊を指揮するのは、海軍兵学校を卒業した兵科士官でなければならないという、伝統的な発想に固執したのだ。米国海軍は、「設営隊」の指揮にあたる士官には、一般の大学で土木工学、建築工学を専攻し、民間の建設会社で土木工事、建設工事を担当してきた現場経験のある技術者を任用した。また、下士官には同じ民間企業で職長あるいは熟練工として働いた人物を採用した。

ところが日本海軍では設営隊の指揮官には兵科士官、その補佐役として一般の大学を卒業して海軍に入った予備学生を採用した。つまり日本は民間での土木工事、建築工事の実地経験者を高く評価するよりも、海軍での経歴を評価したのだ。

また日本海軍が基地建設競争で負けたもう一つの原因は、どこに航空基地を設定するかという重要な問題を検討する時にもあった。基地建設の場所を決めるには現地の状況、つまり用地が平坦か、乾燥しているか、土質が硬いか、それとも柔らかいかなど、土木工事の効率を左右するするような具体的なデータを調査しなければならない。だが日本海軍は、こういう手続きは一切無視して航空機で現地の上空を偵察するという簡単な手段をとるだけで結論を出してしまった。

その結果、実際に現地で建設作業を開始した時には、予想外の困難な条件に直面し、せっかく大量の建設機械を投入しても、作業がまったく進行しないというケースが多発したのだ。もともと経済が弱い日本だから、基地建設に必要な建設機械だけを考えてみても、米国よりも極端に不足していたはずだ。その上さらに肝心の基地の建設地点の選択を失敗したとすれば、乏しい資源を無駄使いしたと非難されても返す言葉はないだろう。

同じように、日本海軍が米国海軍に基地設営のみならず、戦争に完全に敗北した理由は単なる物質の差だけではない。確かにもともと軍艦の数も航空機の数も、生産力の弱い日本が米国よりも劣っていたのは事実だ。しかし第二次世界大戦の経過を見れば個々の海戦で米国海軍よりも優秀な兵力を投入しながら、日本海軍が敗北したケースも少なくない。

つまり経済力、兵力の差もさることながらその使い方の差、すなわち指揮能力の違いが勝敗を決定する要因になったのである。要するに日本は古い常識にこだわってしまったのだ。古い常識にこだわった故に失敗した。硬直した考え、古い常識へのこだわりが新たな発想を拒み、それが結局日本を敗北に追いやったのだといえるのだ。



「情報力」


加藤  |MAIL