加藤のメモ的日記
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2009年01月07日(水) |
誰が電気自動車を殺したか(2) |
電気自動車の歴史は、19世紀末ごろまで遡りポルシェが、創業時には電気自動車を製造していたことは有名な話である。1920年ごろまで富裕層は電気自動車に乗り、煙を上げて走るガソリン車を煙たがっていたのだ。電気自動車が廃れていった最大の理由は、当時石油のほうが圧倒的に安く、入手が楽だったからとされている。その後も電気を動力に利用した乗り物が登場したが、化石燃料を利用した内燃機関を普及させようとした人々の存在が大きく立ちはだかった。
例えば、1920年代からGMは石油魚介の力を借りて電気車両であったトロリーバスなどの会社を買収して廃線に追い込むなど、石油を利用した内燃機関に切り替える方針を打ち出した。。
1946年には全米80都市で運行されていたトロリーシステムは今日ではほとんど消えてしまった。そして1953年、GMの元社長は国防長官に就任し、同時最大のプロジェクトとなった大規模なハイウェイ構想実現させた。そのあたりからガソリン垂れ流しの通称「アメ車」の隆盛と大気汚染が世界的に波及していくことになったといえるかもしれない。
かって電気車両を潰してガソリン車を奨励したGMが、トップレベルの電気自動車を開発したにもかかわらず、自らを潰さざるを得ない状況になったことは皮肉なことである。
以外かもしれないが、高性能な電気自動車がカリフォルニア州で販売されていたことを知るアメリカ人は多くはない。その理由はアリゾナ州など一部を除き、ほぼすべての電気自動車がカリフォルニア州でのみ販売された。アメリカでは全国ネットのテレビや新聞はあまりないため、州外に情報は伝わりにくい。
しかも投資資金の回収を目指すはずの自動車メーカー各社は、不思議なことにカリフォルニア州内でも、ほとんど電気自動車の宣伝を行わなかった。メディアが政治家や石油業界と繋がっていて、電気自動車の宣伝を行わなかった可能性もある。
だが、自動車メーカー各社のホームページでも、電気自動車を商品ラインアップからはずしていることから、メディアの問題と言うよりは、むしろ自動車メーカー自身が電気自動車の営業活動を押さえていたと考えるべきであろう。またリース契約を主体とした販売であったことも影響したと思われる。
アメリカでの状況と異なり、日本国内では電気自動車は密かなブームとなっている。電気自動車に改造したり、市販の電気自動車をパワーアップする人々は着実に増えている。インターネットでも改造に必要なパーツが購入でき、毎年、大手企業協賛の電気自動車のレースも開催されている。
しかし、市販者販売に関しては、大手自動車メーカーは見送っており、電気自動車の販売を行っているのは、中小のメーカーに限られているのが現状だ。また、国内でも電気自動車が市販されていることを知っている消費者は少なく、政府は電気自動車の購入者に対して補助金を出しているのだが、その制度自体も消費者には伝わっていない。
もし大手自動車メーカーが販売すれば、現在の軽自動車と同等の暮らす走行性能、快適性を備えた電気自動車が、大量生産により100万円以下で販売加納になるだろう。そうすれば、爆発的な普及は見込めるはずだが、日本の大手自動車メーカーは動かない。自動車メーカーのエンジニアからすれば、電気自動車の製造は続けたいだろうが、政治的な動きと裏事情を知る上層部からは、研究開発費をこれ以上増やせないというところだろうか。
現在、世界最速の電気自動車とされる「エリーカ」は、慶應義塾大学と企業38社が共同開発したもので、最高時速400キロを目指し、国内の自動車メーカーとの提携も視野に研究を続けている。
またブッシュ政権も支持する燃料電池自動車の存在も忘れてはならない。燃料電池は水を電気分解すると水素と酸素ができる化学反応の逆を応用し、水素と酸素を結合させて電気を作る。燃焼や爆発を起こさず電気を作るため、クリーンで無駄のない形でエネルギーを利用できるのだ。
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