加藤のメモ的日記
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2009年01月06日(火) 路上死者数百人の街(2)

多くの地方都市の場合、野宿者を乗せた救急車は救急病院になかなか着かない。なぜなら地方都市の救急病院は野宿者の場合そうである「航路の福祉」の経験がないためどう手続きしたらいいのかわからないから、「そんな患者は受けられない」と、救急車からの要請を断ってしまうからだ。そうしてあっちの病院で断られ、野宿者を乗せた救急車は市内をさまよい続ける。最後にはどこかの病院に行くが、病院はその場の治療はしても入院は敬遠するため、応急処置のみで路上に返されてしまうことがたびたびある。

今、野宿者に限らず、全国であらゆる相談者に対する福祉事務所の追い返しが問題になっている。全国の福祉事務所で2004年に受け付けた生活保護の相談件数のうち、実際に保護を始めた割合は平均30%である。最低の北九州は15%、相談から申請に至った比率が全国平均で30%、最低の北九州は16%。つまり全国で7割が相談にいって門前払いになっている。

最後のセーフティーネットである生活保護が機能しなくなったら、失業などで困窮した人はどうなるのか。最後の受け皿は刑務所がなっているということだ。生活が困窮しても刑務所にいくこともできない人はどうするのか。多くの人は消費者金融に行く。実際、夜回りなどで野宿者に話しを聞くと「消費者金融に借金がある」という人がかなり多い。「ホームレス自立支援センター北九州」が調査したところ、野宿者の70%強が多重債務者だった。

債務問題に詳しい宇都宮健児弁護士によると、「多重債務になって夜逃げした人は10万人以上と見られます。夜逃げすると住民票を移せない。そのために定職につけない、健康保険に加入できないなど困難を抱え、ホームレスになることを余儀なくされている。生活保護の窓口の壁は高く、闇金融が身近に貸し出す社会は異常だ」と指摘している。「いわばサラ金と福祉事務所がタッグを組んでホームレスやその予備軍を次々と生み出している」という状況である。

生活保護の適用は各地域によってかなり基準が異なる。大阪市の野宿者の場合「60歳以上では稼働能力を問わない」「60歳未満については、病気や障害のある人のみ」という基準が暗黙裡にあると考えられる。70歳であれば、アパートの生活保護申請がほぼ通る。しかし57歳の場合、入院するほどの病状でないかぎりは、生活保護の申請は非常に難しい。60歳未満の野宿者は60才になるか、入院するまで野宿を続けるしか選択肢がないということが多い。

釜ヶ崎以外の寄席場は、すでに日雇い労働市場としての機能をほとんど失った。そして、野宿になった日雇い労働者が高齢化し、その多くが生活保護を受け始めたことで寄席場は「福祉の街」になった。釜ヶ崎もその方向を進んでいる。あいりん地区の生活保護受給者は、2005年度末で6200世帯を越え、この10年で5倍になった。生活保護率は1998年度の8%から2003年の15%になった。

釜ヶ崎は今や日本有数の「生活保護の街」である。2006年度予算の政令市の生活保護費は、2300億円の大阪市が2位の札幌市930億円を大きく上回り断然トップ。中でも西成区の増加は著しく、2005年度は490億円と福岡市とほぼ同額になった。

2002年1月には新宿中央公園で、公園に住んでいた53歳の野宿者が左腕と左足を吹き飛ばされる重傷を負った。爆弾は、消火器に火薬を詰めてニクロム線で乾電池につなぐ仕組みで木箱の中に入れられていた。こうした襲撃は氷山の一角で、その他に無数の襲撃が起こり続けている。殴る蹴る、エアガンで撃たれる、ダンボールハウスに放火される。消火器を噴霧状態で投げ込まれる、花火を打ち込まれるなど様々だ。

2000年7月22日、午前四時ごろ、高校生たち4人の若者が、天王寺駅前商店街で野宿していた67歳の小林利治さんを襲撃、暴行し、小林さんは内臓破裂で死亡した。襲撃した4人の若者は2000年はじめから「こじき狩り」と称して野宿者への襲撃を繰り返していた。

日雇い労働で働き、日払いのドヤ(レストハウス)やネットカフェやマクドナルドで夜を過ごして生活する若者たちは、釜ヶ崎で生活する日雇い労働者の21世紀バージョンである。

労働厚生省によれば、2007年の全国の野宿者数は2万5000人(2003年)から1万8000人と減少した。大阪市では1998年から2005年までの間に5000〜6000人の野宿者が生活保護によってアパートに入った。同時に数千人が新たに野宿者になっている。



正田武志『ルポ最底辺』


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