加藤のメモ的日記
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2008年12月26日(金) 陪審員制度

普通、辞書には”ピープル“の訳語として「民衆、人民、大衆」というような言語が羅列されている。これはイギリスの”ピープル“の訳としては正しいかもしれない。ところがよく考えてみると、アメリカ人には”人民などというものがあるわけはないのだ。

そもそも人民という言葉は、常に支配者とワンセットになっている。例えばイギリスの歴史は、国王・貴族と人民の関係史と言っても過言ではない。これに対してアメリカは」、最初から国王や貴族などいない国である。そのような国で”ピープル“を翻訳するときに、人民と訳すのは本質的におかしいのである。だからリンカーンの「人民の、人民のための、人民による政治」と訳すのは不適訳ということになる。

では一体なんと訳すべきか。それは「皆の衆の、皆の衆による、皆の衆のための政治」と訳すほうが正確なのである。もっと砕いていえば「みんなの、みんなによる、みんなのための政治をしよう」ということをリンカーンは言いたかったのである。これこそがアメリカの民主主義の本質である。

アメリカ大陸に最初に移住したのは、プロテスタントの白人たちであった。彼らは自力で町を作り、市を作った。そこには町長や市長がいなければならない。では誰が町長になるのか―”皆の衆“の中から選ぶしかないのである。また保安官も裁判官も”皆の衆“の中から選ぶしかない。

「あの人は正義感もあるし、法律にも明るいから判事になってもらおう」ということで裁判官が任命されるのである。アメリカの裁判が陪審員制度を取り入れることになったのも、この国の体質と大いに関係があるだろう。

陪審員制度とは「裁判官が有罪・無罪を決めてはいけない」という制度である。被告が有罪であるか否かは陪審員のみが決定できる。一方、裁判官の役目は、有罪と決まった被告にどんな刑を与えるかということだけである。つまり裁判官は「法律の専門家」として法廷を指揮するにすぎないのだ。

ある事件が起きて、裁判が行われることになった場合、まず始まるのは陪審員の選定である。陪審員は、そこコミュニティーの選挙人名簿からアト・ランダムに12人を選ぶことになっている。むろん事件に関係している人は除外される。

この陪審員に選ばれても、今では忌避する人が多いそうである。何日も拘束されるのに日当は数ドルぐらいしか出ない。だから陪審員に選ばれても、普通の勤め人はさまざまに理屈をつけて逃げるのだ。それで最近では陪審員は比較的時間の自由な学校の先生とか、主婦、あるいは失業中の人間というような人が多いという。だが、これも”皆の衆“の精神から見れば、そう悪いことではあるまい。

さて、こうして選ばれた12人が裁判所に呼ばれて弁護側、検察側の言い分を聞く。ただし、法律のことなど考えなくていいから日常の感覚で判断しろというわけである。裁判が一日以上にわたる場合は、すこしはなれたモーテルなどに宿泊となることもあるが、その際も新聞テレビはなく、外部との電話も許されない。そして審理が終わったら陪審員たちは別室に移って有罪が無罪かを話し合うのである。

全員一致の表決が出たら、再び法廷に戻って裁判官に結論を告げる。「無罪」となったら、直ちに被告は釈放される。「有罪」なら、裁判官が具体的な刑を決めるというのは、すでに述べたとおりである。

この陪審員制度というのはイギリス起源のものである。最初は「騎士たちの中で起こった揉め事は騎士の間で片付ける」ということから、陪審員制度が始まった。つまり国王が騎士に干渉してくるのを防ぐための制度であったわけである。

まさに「国王と人民」の構図である。これがだんだん広がって、この陪審員制度が定着したわけでだが、その考えの底には「一人の裁判官はごまかせても、12人のジェントルマンを欺くことはできまい」という常識がある。そのジェントルマンが今では市民になっているわけである。

これがアメリカの体質にもすごくあったというのは、やはり”皆の衆“でできた国家だからだろう。「殺人だろうが、強姦だろうが、法律のこむずかしい理屈で決めるのはいやだ。われわれ”皆の衆“が常識で決めればいいではないか」ということから、アメリカで陪審員制度が定着した。
これが”公判第一主義“の実態である、日本も建前では公判主義だが、実際には検事の調書(皆の衆は関与していない)が圧倒的な重要性を持っている。




『渡部昇一の世界史』



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