加藤のメモ的日記
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2008年12月22日(月) あの戦争はなんだったのか

盧溝橋から始まったシナ事変(日華事変)はずるずると拡大していったが、その一方で日本を取り巻く国際環境はますます悪化していった。気がつくと日本はABCD包囲陣に取り囲まれて、石油をはじめとする戦略物質がまったく入ってこなくなっていた。Aはアメリカ、Bはイギリス(ブリテン)、Cはシナ(チャイナ)Dはオランダ(ダッチ)である。オランダは今のインドネシアを植民地にしていた。

最近の研究によると、この包囲網を画策したのは、どうやらイギリスのチャーチルだったようである。第二次欧州大戦は1939年、ドイツのポーランド侵攻によって始まったわけだが、ドイツ軍の圧倒的な強さに、イギリスは風前の灯といったありさまだった。チャーチルが首相になったのも、連敗につぐ連敗でチェンバレンが政権を放り出したからであった。

このような状態を見てチャーチルが考えたのは、「イギリスを救うためにはこの戦争にアメリカを引きずり込むしかない」ということであった。だが当時のアメリカはとうてい参戦する見込みがない。というのも第一次大戦のとき、連合国の一員として参戦したけれども、結局は何の見返りもなかった。もうヨーロッパの戦争などごめんだ、という声が国民の間で圧倒的であったからだ。ルーズベルト自身「絶対に参戦しない」という公約で大統領に当選したからである。


そこでチャーチルは、まず太平洋で日米戦争が起こるようにしむけるという迂回作戦をとることにした。アメリカが日本と戦争を始めれば日本と同盟関係にあるドイツはアメリカと自動的に戦うことになる。―それがチャーチルのシナリオであった。

もちろん、放っておいても日米戦争が起こるわけではないし、アメリカが日本に宣戦布告するということもありえない。あるとすれば日本がアメリカに戦争を仕掛けることしかない。そこでチャーチルはアメリカやシナを説得して、ABCD包囲網を作ったのである。

戦略物質つまり、近代工業に必要な物資、中でも石油がなくなれば日本はいつか“何か”を始めるはずだと読んだチャーチルの計算は正しかった。1941年12月8日、ついに日本は真珠湾攻撃を行う。日米開戦であった。




渡部昇一『渡部昇一の昭和史』


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