加藤のメモ的日記
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参勤交代とは例えば加賀藩の場合、参勤交代の行列は二千人ないし四千人で構成された。それだけの人間が金沢から江戸まで大きな荷物や籠をかつぎながら歩いていくというのは大事業だった。当時の宿場は、旅籠が二十軒程度だから、とてもそれだけの人間を収容しきれず、近郷近在にわたって分宿しなければならなかった。
毎日、寝具の調達各種資材の調達が必要だった。江戸まで大きな川がいくつもあったが、戦略上の理由で橋がかかってない川が多かったから、仮橋をかけたり、多数の渡し舟を調達しなければならなかった。それやこれやで、一回の参勤交代で、六〜七億円の費用がかかったという。
それだけではすまない。次の江戸にそれだけの人間が住む費用がかかる。人件費を含めた江戸詰めの諸費用は、ほとんど国元の費用と同じくらいになったという。そのため、日本一財政が豊かであった加賀藩の資金がみるみる細っていき、やがて借金に借金を重ねるようになった、ということだ。
忠田敏男『参勤交代道中記―加賀藩資料を読む』より
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