加藤のメモ的日記
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八月二日の未明って時刻にバイク事故を起こし、新宿の東京医大病院救急車で運び込まれたとき、意識はなかった。すぐに集中治療室に入れられて、検査とか投薬とかを次々にほどこされている時も、まるで意識はなかった。両手と胸、腹をベッドにくくり付けられ、身動きできない状態が二日ほど続いたがその間も意識は戻らなかった。
時々うめいたり、うわ言のようなことや会話の切れ端を言っていたようだが、ほとんど眠り続けていた。集中治療室には八月九日までのほぼ一週間いて、世話をしてくれた人たちの言うには、入院三日目からはそれなりの会話を交わしていたようだが、今となってはまるで覚えていない。
眠っている時間が長かったし、目を覚ましている時、条件反射のように受け答えはしていても、ちゃんとした意識はなかったのだと思う。事の次第をそれなりに意識して、意味のある会話ができるようになったのは、一般病棟に移ってからのことだ。記憶もしっかりした。
つまり最初の一週間は夢の中にいたようなものだ。実際のところ、夢の断片のようなことを口走っていたようだし、夢を見ていたんだと思う。どんな夢かというと、自分で初めて運転したバイクがガードレールにガーンとぶつかって、宙を飛んだ体が道路に叩きつけられ、そのまま魂が抜けてしまって、ぐんにゃりと死体みたいになったのがポンと転がっている。
それがビートたけしって男の縫いぐるみだった。中身が抜けてヨレヨレになった縫いぐるみは、やけに軽くて片手で簡単に持ち上げられる。「なんだ、これ。ああ、顔がズタズタになっっちゃってる。頭がへこんでいるじゃないか」
それで、縫いぐるみを持ったまま、ちょっと考えたんだ。「ああ、こんな縫いぐるみを着て、この先また生きていかなくちゃいけないのか。これを着るのかどうか決めないといけないのか」ってね。
どういう筋道かわからないけど「まあ、しょうがないから、それはそれで着ていこうか」って気持ちになっていた。そういうふうにして夢から覚め、面会謝絶の病室で点滴の栄養と薬で支えられながら、一歩も歩けないクズのような体を相手にする生活が始まった。
.........
で、ぼんやり覚えているのは事故の夜、練習のためにバイクに乗ってみようと思ってね、バイクのハンドル押して道に出たんだ。それが夜中の一時過ぎ。そしたら、次のシーンはもう病院のベッドの上だった。その間のことはすっぽり抜け落ちている。一般病棟に移ってから、何度となく事故の前後の事を思い出そうとしたけど、ハンドルを握ってサドルに腰を下ろした感触が少し残っているだけで、それ以上のことは何も覚えていなし思い出せない。
医者がいうには、一生事故の記憶が戻らないかもしれないし、ふと思い出すかもしれないってことで、どちらにしても問題はないらしい。記憶が戻る戻らないってことは気にならないんだけど、今になって考えてみると俺は自殺したんじゃないかって思うことがある。
俺の中にある中にいるいくつかの自分の一つが、自殺に突っ込んでいったんじゃないのか。将来、記憶が戻ればすべてははっきりするけど、記憶のない今、あれは自殺だったんじゃないかと考えるのが一番無理がない。
どう考えても、ブレーキをかけずに凄いスピードでガードレールに突っ込んでいくわけはない。自殺したいって以外に理由が見つからないから。
ビートたけし 「顔面麻痺」より
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