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2005年09月13日(火)
Yさんへの手紙

以下の手紙は、某場所に私が投稿した「04年の映画ベスト23」(05.02.1〜2の日記に載せています)に対するはじめて長文の感想が送られてきたので、それに答えたものです。
Yさんの了承は得ていないのですが、匿名で書けば、それほど問題もなかろうと思い、此処に載せます。映画に対する私の態度表明文章になっています。


Y様、このたびは私の拙文に長い感想を書いてくださり、ありがとうございました。本来はもっと早くお返事をすべきだったのですが、こんなにも遅くなって申し訳ありません。
いろいろとご指摘ありがとうございました。

「各作品の点数を教えてほしい。」ということですが、私の点数のつけ方は、見た直後、70点、75点、80点、85点、90点という風につけていきます。ただ、直後の点数が、しばらく自分の中で熟成してくるとあがったり下がったりするのです。ただ、不思議と80点の合格ラインだけは、しばらく経ってもそれをまたいで評価が変わることはありません。よって、点数は同点があまりにも多いし、書いた時点の評価ということで、変動もあるので書いていないのです。(95点以上の評価はめったにないし、去年もありませんでした。)

「文章上、文法上、ふさわしくない表記がある」とのことです。申し訳ありません。自分なりに読み返してはいるのですが、やはりあるんですね。気をつけたいと思います。
P.19「言わずもがななのである」→「言わずもがなのことなのである」
P14「私の合格作品」P19「父親の何度も聞いた話」→「私の選んだ合格作品」「父親から何度も聞いた話」訂正したいと思います。

「いま、会いにゆきます」で、「そこで一首」の文意が分からない。短歌でごまかしているという意見でした。しかも短歌の内容は、「伏線を見事に活かしている」と評しているわりには、内容に踏み込むものであったと書いていらっしゃいます。そうか、やはり分かりにくかったですか。いや、内容に踏み込むとネタバレになるのですが、踏み込まないと感動を伝えれないと思ったので「突然」挿入したのです。短歌はそれほど重要なネタバレにはなっていないと思うのですが。でも読み返してみて、良く分からない文章ではありましたね。この手の映画は「あっと驚く展開」が命なので、「まあ、騙されたと思ってみてください」というしかないのかな。

「映画はあくまで娯楽であり、虚構であると私は思っています。中途半端な芸術性や社会性は不要のものと思っております。要するに面白いことが最も大切なことではなかろうかと感じています。」とYさんは書かれていました。この文章は別に私の評論を批判したわけではなく、Yさんの持論なのだと思うので、私がそのことについて、間違っているというつもりは全然ないのですが、Yさんの意見は私の想いとは違っており、「意見の違いは実は最も大事なところ」という私の持論の通り、両者の意見の違いの中に実は「映画の魅力」が隠されているのではないかと思うので、少し展開させていただきたいと思います。

映画は巨大な映像産業です。よってまずは「面白いことが最も大切」だと言われるYさんの意見には一理あると思います。そうでないと商売として成立しないからです。「面白い」という意味の中には「可笑しい。スカッとする。」という以外に「知的に興奮する。勉強になる。」という意味もおそらく含まれているのだろうと思います。しかし、それ以外に私は「芸術性」も「社会性」も必要だろうと思っています。そして素晴らしい作品というのは、たいてい「娯楽」であり、「芸術性」も「社会性」ももっているのではないでしょうか。

Yさんは「ゴジラファイナルウォーズ」が最も好きだと書いていました。あれに「芸術性」があるかどうかは置いておくとして、私は「娯楽性」と同時に「社会性」ももっていると思っています。しかもかなり鋭い形で。そうでないと、ゴジラがこうまで長い間人・社会に影響を与え続けてきた理由が分かりません。Yさんはなぜゴジラを観て「胸はわくわく身体は震え、私自身もゴジラになって一緒に吠え」るのでしょうか。そのことに「意味」を見つけるのは間違っているのでしょうか。その「意味」が私の言うように、「戦後の繁栄は実はとんでもない虚妄の上に建っているのではないかという漠然たる想いを私たちはみんな持っているのではないか。だからゴジラが国会議事堂を壊し、東京ツインタワーを壊し、福岡ドームを壊し、各地域の原発を壊していくことで私たちは「癒し」を得ているのではないか。ゴジラは破壊神です。逆説的ではあるが、日本の高度成長が生んだ神であったと私は思う。」という意味かどうなのか、Yさんの「ゴジラは私自身だ」というゴジラ像とは違うみたいですが、ここでは議論するのはやめましょう。面白い議論になると思いますが。長くなるので。

映画はどんな低予算映画であろうと、観客を要する限りは、「娯楽性」を要求するでしょうが、同時に作り手の「思い」がこもらなければ、どんなに予算をかけても「いい作品」にならないというのは、Yさんも納得していただけると思います。その「思い」が社会に影響を与えるとき、「社会性」をもったということになり、個々人の思想や人生に影響を与えたとき、「芸術性」をもったというような言い方も出来るのではないでしょうか。

私は「いい作品」にであいたいのです。そういう作品にであったとき、そのことの「意味」を自分なりの言葉で書いて、ある程度納得したいし、出来ることなら、ほかの人にも読んでもらって、「そうだね」とか「違うよ」とか「意見」を聞きたいのです。

そういう意味でほかにも映画評そのものに対する意見があれば嬉しかったのですが。

いやいや、ちょっとくどくなりすぎました。

またいろいろとご意見ください。それでは。
(05.04.30)