|
|
2005年08月31日(水) ■ |
|
自民党「新憲法第一次案」を読む |
|
8月2日、自民党が「新憲法第一次案」を発表した。
読売新聞は当然のごとく社説で「[自民憲法原案]「条文に即して議論すべき段階だ」」と、ほぼ追認している。「「自衛隊は軍隊ではない」という虚構を排し、今日の安全保障環境と国際情勢の下で、自衛隊の任務を適切に位置づけたものと言えるだろう。」と、いい、「公共の福祉」の記述についても「自己中心の個人主義ではなく、本来、憲法が想定していた「責任ある個人主義」に基づいて、社会の存立の基盤を確かなものにする意図が読み取れる。」とべた褒めである。
朝日新聞は「自民憲法案 失速気味の改憲論議 」と、斜に構えた論説を張った。しかし、それでいいのだろうか。
今回、自民党は初めて条文化して憲法案を発表したのだ。改憲派はこれを大いにたたき台にするという。それに反対する立場も、この案を大いにたたくべきではないのか。これから自民党は全国で「タウンミーティング」を開き、そこでまるで全国の世論を聞いたという形にして、秋の11月結党大会に向けて決定版を出そうとしている。
自民党案では、の「戦争放棄」という表現そのものをタイトルからも条文からも削除した。それに付け加えて、9条2項の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除し、新たに「侵略から我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する」と明記した。また、自衛軍が「自衛」活動のほか、「国際貢献」や「秩序維持」の活動を行うと規定した。これは、たんに現在の自衛隊を追認するだけではないことは明らかだ。枡添要一もはっきりいっている。「集団的自衛権を認める」ということである。つまり、アメリカがイラクであれ、地球上のどこであれ、勝手に起こした戦争に日本が巻き込まれ日本も侵略戦争の片棒を担ぐということである。 この憲法を素直に読むと、そうなるのだ。
国民の権利については、「自由及び権利には責任が伴う」「公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責任を負う」と規定し、内閣が定める政令でも「法律の委任」があれば権利制限できる仕組みです。「公益や公の秩序」が個人の人権より優先するという考えを打ち出している。そもそも憲法は「政府が暴走しないために、国が守るべき法を決めたもの」である。世界の憲法はほとんどがそうである。「お国のために」という時代がやってくる。やってこさせてはいけないのではあるが。
これは「法案」である。抽象的な論議はしにくい。大いに叩こう。 (05.08.03)
|
|