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2005年04月06日(水)
本多勝一「事実とは何か」について(6)

学習会のレポートの二編目のことを書いておきたいと思う。

「事実と『真実』と心理と本質」
真実とは何か。
ベトナム戦争での例。取材中に記者が殺された。生き残った記者は解放戦線(北ベトナム)がやったのだという。ハノイ放送は「サイゴン政府軍(南ベトナム)がやった」のだという。こういうとき「真実はどちらか」という表現がとられることが多い。
真実とは「正確な事実」に過ぎないのではないか。
以下、いろんな辞典を調べてみて、真実は他国の言葉には存在しない。真理ならある。哲学辞典によると真理はそれぞれの立場により違う。キリスト教の真理、スコラ哲学の真理、佐藤栄作の真理、殺し屋の真理、殺される側の真理……。
そうか!「真実」は必ず「事実」または「真理」に分解してしまうのだ。
ただ、どういうときに真実を使うのだろうか。
「真実」とは、事実または真理を、より情緒的に訴えるときに有効な単語なのである。
ベトナムの事件はある記者が「正確な事実」を調べ上げた結果、解放戦線が記者を誤って(米兵と思って)攻撃したと分かったとする。この事実を、記者が「ベトコンの無差別攻撃」と書いた場合、この記者は「事実」を書いたとしても、大きな過ちを犯していることになる。一方で米軍が意図的な無差別攻撃を連日限りなく続けている事実との比重から考えても誤っているが、それ以上に、ベトナムの国土を米軍が侵略しているという「本質」の上に立った記事ではないから。
真実という日本語はルポから避けたほうが良い。
ルポに関しては次のように言うことができます。
「事実によって本質を描く。」

この文章は1969年のものですが、「ベトナム」を「イラク」に置き換えたら、あたかも現在のことを言っているような気がします。
日本のジャーナリストは、日本の青年やジャーナリストがイラクで殺されたとき、果たして「事実によって本質を描いた」でしょうか。


私は先に大学に「真実みたいなもの」を求めて入ってきたといいました。されは「真理」と言い換えたほうがよかっのでしょう。まっこと、まだまだ私も修行が足りない(^^;)

もっとも、本多勝一はベトナム戦争という究極の現場に立って自分の立場を不動のものとしました。しかし、しがない大学生の新聞つくりはいろいろと悩むことになります。