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2005年04月05日(火)
本多勝一「事実とは何か」について(5)

昨日は興が入ってずいぶん長い文章を書いてしまった。この文章の目的の第一は、映画評書評が溜まるまでの「時間稼ぎ」である。第二はあくまで「事実とは何か」をめぐっての私の感想である。読者にも、私自身にもそのことを再確認しておきたいと思う。

「客観的事実などは意味がない」のは間違いなくそうだと思うのだが、事実そのものの検証は記者の最低限の仕事ではある。私は記者ではないし、この文章はルポでもないのではあるが、だんだんと私が書いた文章にウソがないか、気になりだした。私自身は覚えていることを正直に書いているつもりなのではあるが、たとえば当時文化会サークル棟に「白ヘル」がいたかどうかはっきり覚えていないし、ましてやあの建物の中に(怖くて)一度しか入ったことがないので、この事柄は非常にあいまいであることを断らなくてはいけない。本当は、今あの大学に戻って関係者の話を聞いて「裏を取る」のが記者としての勤めだと思うのではあるが、もちろんそんなことはできはし

結局、この文章は回想録の域を出ないものなのだ。えっ、そんなことは分かっていた?
私は「事実」をめぐる話なのでできるだけ正確に書きたかったのではあるが、仕方ない。私の大学名は伏せておきたいと思いますし、一部団体名が出てきますが、これら団体名はフィクションであると一応思っておいてください。

私の大学生活四年間は「新聞」にどっぷり使った四年間でした。私がこの大学に入学したのは大学移転のすぐあとで、周りは田んぼだらけでした。私の交通手段は最初の一年間は自転車。その後はカブでした。カブで10分くらい走らせた更に田舎に私の下宿(下宿代一万円)はあり、その下宿と大学構内と新聞会部室と活版印刷所。それと時々本屋と喫茶店。それの往復が私の四年間でした。

しかし私はその中で、何かを選択し、何かを表現し、そして失敗していったのです。ジャーナリストとして、そして社会に生きるものとして大切なことは、その閉じられた世界でも充分に学んだはずです。そのことをもしかしたら振り返ることができるかもしれない。

さて、この調子だとこの本についての話題はいつ終わるか分からない様相を呈してきました。