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2005年04月02日(土)
本多勝一「事実とは何か」について(2)

昨日の続きです。

この本はジャーナリスト論の短文を集めたものである。私が最初にせっしたのは未来社刊の単行本であった。しかし、学習会のレポートに出てきたのはそのうちの二編だったと思う。この本と同名の「事実とは何か」(「読書の友」1968)と「事実と『真実』と心理と本質」(日本機関紙協会『機関紙と宣伝』1969)である。よって主にこの二編の内容をまず紹介したいと思う。

「事実とは何か」
新聞社に就職して教えられたことに「報道に主観を入れるな」「客観的事実だけを報道せよ」がある。そのことは「その通り」ではあるが、本多勝一はベトナム戦争の取材で、そのことに違和感を抱くようになる。「客観的事実などというものは仮にあったとしても無意味な存在である。」「主観的事実こそ本当の事実である」。
つまり戦場には、無限の事実がある。砲弾の飛ぶ様子、兵士の戦う様子、その服装の色、顔の表情、草や木の土の色、土の粒子の大きさや層の様子、昆虫がいればその形態や生態、……私たちはこの中から選択をしなければならない。選択をすればすでに客観性は失われてしまいます。
そして、そうした主観的選択はより大きな主観を出すために、狭い主観を越えてなされるべきです。米兵が何か「良いこと」をしたとする。それは書いてもいい。それは巨大な悪の中の小善に過ぎないこと。小善のばからしさによって、むしろ巨大な悪を強く認識させることができます。警戒すべきは無意味な事実」を並べることです。戦場で自分の近くに落ちた砲弾の爆発の仕方よりも、嘆き叫ぶ民衆の声を記録するほうが意味ある事実の選択だと思う。
そしてその主観的事実を選ぶ目を支えるものは、やはり記者の広い意味でのイデオロギーであり、世界観である。
「ジャーナリストは、支配される側に立つ主観的事実をえぐり出すこと、極論すれば、ほとんどそれのみが本来の仕事だといえるかもしれません」


この最後の言葉にジャーナリスト論の「ジ」の字もかじったこのない私は痺れましたね。以下次号。