2025年01月14日(火) |
クルマを買い換えるか否か? |
携帯用URL
| |
|
オレは旧車が好きだった。「好きだった」と過去形にするのは、カーナビを普通に活用するようになって便利さがわかったからであり、文明の利器を使うことは当然だということに気がついたからである。かつての不便さをも愛しためんどくさい自分はどこかに捨ててしまって、オレは「運転しやすい」クルマこそがベストだと思うようになった。あっさりと宗旨替えしてしまったわけである。
たとえば駐車時にバックするとき、クルマを真上から俯瞰してくれる「アラウンドビューモニター」に慣れてしまうと、もう不便な車庫入れには戻れないのである。駐車スペースの白線のど真ん中にいつも駐められるのはクルマのおかげである。いずれこういうことは自動化されてしまうのだろう。
長いこと愛用していたMT車へのこだわりも捨てた。適切にギヤを操作することは運転する楽しみかも知れないが、ある意味めんどくさいことである。そのめんどくさいことをオレは愛していたわけだが、そういう自分を捨てて楽になったのが今のオレである。そういうわけで卑怯にもクラッチを踏むことはなくなったのである。これで左足がなまることになったのである。運動しない自分はますます退化していく。
新しいクルマは次々に出てくる。そして魅力的なクルマが多い。そこで試乗したりするとやっぱり欲しくなる。買えないわけでは無い。そう、買えないわけでは無いのだ。オレはよく同僚から「なんでポルシェとか買わないんですか?」と訊かれて、「大きくて家の車庫に入らないから」などと心にもない返答をする。自分の経済力から考えればカイエンでもケイマンでも買えばいいのだが、そんなのを手に入れればオレは燃費の悪さに驚愕するだろう。しかし、ガソリン代を気にしないといけないほど貧しいわけでもない。そういう部分でオレは自分が「本当のブルジョワ」というものからほど遠い庶民であることを理解するのである。ランニングコストなんかを考えてしまう時点で、自分は「貧乏人根性」から逃れることは不可能なのだ。服を見ていて必ず値札を確認するオレは貧乏人だ。真の金持ちは値札なんか見ないモノである。
国産車で十分と思ってるオレは、ガストやジョイフルという安く食べられるファミレスをこよなく愛する一般人だし、旅行するときに星野リゾートに泊まるなんてことを思いもしないで大江戸温泉物語や湯快リゾートを選んでしまうのである。それで十分だからだ。それは好意的に解釈すれば「足ることを知る」ということになるわけだが、まともな金の使い方を知らない馬鹿ということなのかも知れないのである。
クルマを買い換えるか否か、その大切なことをオレは「別に今不便と感じているわけでもないし」とスルーしてしまう。真の金持ちというのは車検を通したばかりのクルマであってもあっさりと買い換えてしまうようなそんな行動が出来る人であり、オレは自分が小物であることを自覚してしまうのである。
←1位を目指しています。
前の日記 後の日記