2025年01月13日(月) |
和歌山県は遠いのか? |
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和歌山県には国立の「和歌山大学」という大学がある。大阪からわざわざ通う学生も多い。その和歌山大学に関して、少し書いてみたい。
和歌山大学は国立大学ならではのある特徴がある。それは自宅通学生の少なさである。同じ和歌山県内からでも、串本や那智勝浦のようなところからは通えないわけで、学生はアパートなどで1人暮らしするか、学生寮に入ることになる。教育学部や観光学部という女子学生比率の高い学部を抱えながら、自宅生は少ないという状況なのである。それは学生生活にも大きな影響を与えるのだ。
大阪から和歌山大学に通う場合、通学に片道2時間近くかかることになる。大阪市内に住む人にとって、和歌山とは京都よりも遠いのである。和歌山大学から疲れ切って大阪方面に帰宅する学生の中にはどうして座りたくて指定席のある特急で帰る者もいるらしい。学生らはその行為を「課金」と呼ぶ。
ただ、自宅生が少なかったら、学生は「通学」という時間をあまり気にする必要がなくなる。つまり、サークル活動が盛んになるし、バイトなどもしやすくなるのである。もちろん住居費がかさむので生活は苦しくなるかも知れないが、国立なので授業料は安い。そういうわけで学生の自立が促進される素敵な環境であるとも言えるのだ。
ところが大阪と阪神間、そして京都府南部に住む若者は和歌山県をかなり田舎だと見下している。オレの知る豊中に住む方は「奈良県や和歌山県には絶対に住まない」という特権階級意識を持つのである。そんなに和歌山は田舎だろうか。それほど大阪と和歌山で文明に差があるとはオレには思えないのである。ただ問題は「遠い」ということだけであるような気がするのである。
家を買う場合田舎に行くほど安い。大阪南部の南海本線沿いの丘陵地にはバブルの頃に開発されたニュータウンの残骸が広がっている。大阪湾を見下ろす高台は眺めはいいが、そこからバスで最寄り駅まで出て、さらに電車で大阪の中心部を目指すとなるとかなりの時間が掛かる。ただマイホームが欲しいからとそんな田舎に家を買うという行為は後悔しか残さないのである。
その大阪からさらに県境を越えて和歌山県にニュータウンを開発して果たしてその家が売れるのだろうか。和歌山大学はそうした土地の側である。南海本線に和歌山大学前という駅があるがもちろん駅前に大学はない。あるのはイオンモールであり、駅前を当て込んで立てられたマンション群である。そこから高台に住宅地が広がり、その住宅地を抜けてかなり坂道を登るとやっと大学にたどり着ける。駅から大学までは水平にも垂直にも離れている。せめて駅を大学のある山の真下に作って、そこからエスカレーターでも付けてくれると通学に便利なんだが、そんなことを開発する側は考えない。あくまでも開発者は土地をできるだけ高く住宅用地として売りつけたいわけで、そんな連中が高く売れる駅チカの土地を大学みたいなどうでもいい施設に回してくれるわけがないのである。
家を出て埼玉県の与野に住んでいたオレの次男は、職場がある新宿に通うために西新宿に引っ越した。通勤ラッシュを避けたかったからだという。遠くに住むということは、遠距離通勤、通学という苦労を自分だけでなく家族にも与えることである。子どもの通学を考えれば決して和歌山にマイホームを買うべきではないかも知れないのだ。そこから京都大学に通うのはかなり困難である。通学を考えれば阪神間や北摂が最強だ。JR沿線に住むなら速達性も手に入る。ただダイヤの混乱に悩まされることも多いそうだが。
都心部にマンションが開発されていく一方で、大阪市内でも開発から取り残されてしまった土地は多いのである。住民の高齢化が進み、活気を失った街も多い。高度成長期に活気があったかつての「団地」は今や老人ばかりである。通勤・通学時間を短くと思うなら都市近郊にいくらでも買える家はある。それなのに田舎に住むのはなぜか。どんなこだわりがあるのか。オレはそれを直接訊いてみたいのである。
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