TVでは自民党総裁選のニュースばかり流れる。誰が総理になっても自民党である限り金権体質は変わらず、アメリカのポチとなって防衛費を増やし、国民生活を破壊する政治は続くわけで総裁選なんて単なる茶番なんだが、国民はそれに輪を掛けて馬鹿なので今回も騙されて小泉進次郎なんかに期待するのだろう。
オレは何も期待しない。自民党が崩壊して政権交代が起きて、憲法の理念通りに「国民主権」であることを国民が理解し、長いこと馬鹿であり続け、自民党に投票し続けたた国民が少しは賢くなってくれることを期待しているのだが、それはかなり困難である。しかも国民の半分は選挙そのものに行かない。
日本で「正義」という概念が失われてどれだけ経つだろうか。少なくとも昔の政治家は「恥」の概念があった。月30万で愛人を囲ったことが報道されて一ヶ月で総理を辞した政治家もいた。そうした行為と比較して、安倍晋三の行った政治倫理の破壊は比較にならないほど大きかった。「バレても堂々と開き直る」「検察を支配下に置いて起訴させない」ということがいつのまにか常態化してしまった。今や、どんなに悪いことをしても自民党関係者なら罪を問われないか、軽い罰ですましてもらえるということになったのである。
社会から正義が失われるとどうなるか。そんなことはオレがここで書くまでもないだろう。学校ではいじめが横行し、「バレなかったら何をしてもいいし、バレてもごまかせる」という価値観はあらゆる場面を支配することになる。それは企業間取引に於いてもそうなるし、国家間の関係でも同様だ。少なくともそれは「武士道」精神とは大きくかけ離れたものである。日本は「サムライ」の国ではなかったのか。
江戸時代の会津藩には「什の掟」というものがあった。「ならぬことはならぬのです」というその掟はこのような文言である。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
武家の男子の守るべきルールなので「戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ」などの文言があるわけだが、ここでもきちんと、卑怯な振る舞いや嘘を言うことは戒められている。
国会で118回の嘘を言った男は最後は統一教会によって人生を破壊された男の凶弾に倒れた。司法は誰も安倍晋三を裁かなかったのだが、テロという形で彼の人生には裁きが下された。これは危険なことなのだ。社会で正義が実現されなくなった時に民衆はどうするのか。テロや暗殺といった方法で「悪を裁く」ことを実現しようとする。それは社会を不安定化させる最大の要因である。それを防ぐには「司法の正常化」「社会正義の実現」「政治家でもきちんと逮捕」しかないのである。
安倍晋三の死は「民主主義の敗北」である。しかし、その本質的な意味は「暴力が民主主義を破壊した」のではなく、「暴力でしか正義を実現できなかった」ことなのである。多くの法を犯しながら逮捕されなかった安倍晋三に対して、私刑が行われたことがすなわち「民主主義の敗北」なのである。安倍政権下で多くの不審死が起きている。東京五輪の財政課長はなぜ自殺したのか。公文書の改ざんを命令された赤木さんはなぜ自殺したのか。少なくともその陰には多くの「逃げ切った悪人」たちが存在するのではないか。
自民党は「アメリカの言いなりになって、国民よりも自分たち政治家の利益を重視するクソ政党」である。そして多くの馬鹿な国民はその自民党に投票し続け、もっと馬鹿な国民は投票にすら行かなかった。「国民が馬鹿だから国家が滅びる」という壮大な歴史実験を日本は行っているとオレは感じている。残念ながらオレはその滅びを見る前に死ぬだろうが。
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