2024年09月07日(土) |
道義的責任とは何か? |
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斎藤元彦兵庫県知事は「あなたに道義的責任はありますか?」と問われて、「道義的責任とは何かわかりません」と答えたという。
オレは過去に一度だけ、もう少しでクルマで子どもをはねそうになったことがある。国道309号線という片側二車線の道路で、その内側の車線を時速60キロくらいで快適に走っていた通勤の朝、歩道でふざけ合っていた小学生が突如車道の中央まで飛び出してきて、オレは必死で急ブレーキを踏んだ。
ギリギリで停止することはできたが、その小学生は笑いながら走って逃げていった。オレはハンドルを握ったまましばらく動けず。後続車のドライバーはわざわざ下りてきて「大丈夫か」と声をかけてくれたが、オレはただその場に固まっていた。「おまえ運転うまいなあ、オレやったら絶対轢いてたわ」と声をかけられたことも覚えている。もしもあの時に回避しきれずにその小学生をはねて死なせていれば、オレは過失責任がゼロであったとしてもきっと教員という仕事を辞めていただろう。人をはねて死なせた人間には二度と教壇に立つ資格は無いと思って、きっと別の仕事を選んだことだろう。道義的責任をとるということはそういうことだと思うのである。自分の行為の結果起きてしまったことに関しては、たとえ自己の正当性があっても責任を逃れることはできない。
自分のパワハラや命令によって二人の職員が自殺した。兵庫県知事の斎藤元彦には二人の職員の自殺に関しての道義的責任がある。特に元局長の場合、自分への告発を嘘八百と決めつけてつるし上げようとし、副知事の片山を使って恫喝させて追い込んだわけでその道義的責任は明確だ。
しかも斎藤元彦知事のさまざまな行為がきわめて不当であるることはさまざまな方が指摘している。公益通報者を誹謗中傷と決めつけて懲戒処分した行為ははっきり間違っていると、百条委員会に参考人招致された学者が語っている。
9月16日に予定されている県議会では立憲が知事の不信任案を出そうとしている。また自民党の県議団はその前に辞職勧告を行うとしている。ここまで粘った斎藤元彦はおそらく不信任が可決されれば議会を解散するだろう。兵庫県下の維新議員が壊滅して新たな議会が再度不信任案を可決させることでやっと斎藤知事はクビになる。
変なやつを二度と知事にしたくないと兵庫県民には教訓にしてもらいたいのである。
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