2024年06月28日(金) |
中華烈女の死を悼む |
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中国江蘇省蘇州で日本人学校のスクールバスを待つ日本人母子らが中国人の男に刃物で切り付けられた事件で、刃物男がバスへ侵入するのを阻止しようとして刺されて重体となっていた中国人女性が亡くなったことが分かった。回復を願っていただけにオレは悲しくてならない。どうしてこんな事件が起きてしまったのか。
無差別殺人を起こそうとするサイコパスはどの社会にも存在する。それを我々はどうやって防げばいいのか。教育には限界がある。かといって予防拘禁したり、未来殺人罪で検挙することもできない。トムクルーズが出ていた『マイノリティレポート』というのはそういう内容の映画だったと思う。
いくら予防しても準備しても100%防げない以上、結局のところ社会はそうした事件が発生してから防御するしかないのである。必死で現場の人たちが立ち向かうしかないのだ。アメリカで毎年のようにおきる無差別乱射事件も同様である。銃社会のアメリカが払わなければならない社会的な対価が、無差別殺人による死の可能性である。アメリカ国民は銃を許容するという結論を選んで今に至るのだ。
今回の事件で亡くなった女性は、蘇州市姑蘇区在住の胡友平さん(54歳)で、24日午後4時ごろ、蘇州市内のバス停で刃物を持った人物を発見した際に止めに入り、複数回刺されたということである。この胡さんはバスの案内係だった。日本や中国のSNS上では胡さんの回復を願う声が多数投稿されていたという。
中国の公安局は、この事件で犠牲となった胡友平さんに、市政府に対して「正義と勇気の模範」の称号の申請をしたと発表したそうである。現代ならどんな称号が与えられるのだろうか。オレは彼女のことを「中華烈女」と称賛したい。
どうして人は自分を犠牲にした行動が出来るのだろうか。もしもそういう場面に遭遇したときに自分はどうするだろうか。自分以外の誰かのために死ねるという崇高な行為を行える人はどこが違うのだろうか。
オレが気になるのは、日本政府の対応である。中国に駐在する領事館の職員が亡くなった胡さんへ哀悼の意を述べているらしいが、どうして政治家が動かないのか。どうして岸田総理が何か発言しないのか。日本人の生命を救おうとして犠牲になった英雄的な行動に対して、心からの謝意を示すのが政治家のあり方であり、日中友好のために必要な行為ではないのか。
岸田なんか無能でポンコツのクソ総理である。そんな役立たずではあるけれども、こういうときにすぐに行動して習近平に会いに行き、その中華烈女の死を悼み、そして彼女の遺族が困らないようにと見舞金を渡すくらいの外交努力はしてもいいだろう。そんなことも思いつかない程度のポンコツなのか。岸田でなくて外務大臣の上川陽子でもいい。どうして政治家は動かないのか。オレはそれが納得できないのである。
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